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2015年12月18日金曜日

【あべふみこのあっちこち】鴨川―その野と山と海

阿部文子

鴨川市は、有名なシ-ワールドや亀田病院群の太平洋海岸に近い鴨川駅周辺から、保田や浜金谷の東京湾に連なる変化にとんだ地域である。我が家は2kmも行くと南房総市と境になる鴨川市のどんづまりにあるが、市民運動が盛んな地域でもある。

1 鴨川9条の会

「あべ政権を許さない」活動の中心になっている「鴨川9条の会」は、現在毎月19日には、国会に車で乗り合わせて参加し、安倍政権包囲網行動に参加している。行きの道中、車の中がまた楽しい。いろんな意見交換をする。国会前は毎回「鴨川9条の会」ののぼり旗を目印についていくのがやっとの混雑ぶりである。「あべ政権を許さない」行動は、戦争をごり押しする安倍政権をたおし、戦争法を廃案にするまで続けなければならないし、続くだろう。

2「まちの縁側かもがわ」

「まちの縁側かもがわ」は鴨川市街地に近い貝塚一戦場塚にある。鴨川は千葉県ではもっとも放射能汚染が少ない地域の1つであることを利用して、被爆した子供達と親の保養の宿泊施設である。

緑に囲まれた2階建ての1軒屋で、持ち主は近くのマンションに住んでいるので、気兼ねなく、ゆっくり過ごせる。鴨川の海にも近いし、シーワールドにも近い。お申し込みはホームページからどうぞ。

3 あわのば awanova

あわのば主に鴨川に移住した市民によって、毎月1 回新月の日に開催される互助マーケット&カフェである。提供品の基本はオーガニックか手作り食品。お米や豆類、パンやお菓子、チーズやコーヒー、雑貨や野菜・・・・。

私も「遊学の森コミュニティートレード」として、さわのはなの玄米、トラスト醤油、菜種油、有機栽培わたらい茶、宮古島もずく、パレスティナオリーブ油、オリーブ石鹸、お塩などを出展する。

日曜・祭日に重なると、さらに出展者は増え、古本屋、手作りアクセサリー、占い師、子どもへの絵本読み聞かせなどバラエティーに満ちる。軽い昼食も出来、10個のテーブルはほぼ満席。その中で毎回目立つのは、妻が日本人という外人勢グループである。子どもがいる人もいて交流の場になっている。夏になると夕涼みをかねて、影絵上映会をやることもある。

私は毎回、愛犬クロと一緒に参加して,本を読んだり、おしゃべりをしたりして充実した終日を過ごす。このような出展している人々を、新しい社会の方向性を示す「生産・消費者」と呼ぶこともある。(つづく)

2015年4月6日月曜日

【あべふみこのあっちこち】里山に暮す

阿部文子

★小さなもの達の災難

 私の寝ている布団の中にもぐりこんでくるチビタンと与佐。11月の中旬朝5時半寒い朝。
ごく最近まで、我が家には3匹の猫がのびのびと暮らしていた。

2013年9月23日の夜遅く大五郎は一晩中苦しがり、毒を吐き出すことも出来ずなくなった。ぐったりとなった大五郎をTシャツにくるみ、抱いて声を立てずに泣いた。
この喪失感。紅葉の木下に埋めた。「大五郎ここに眠る。2013年9月24日朝6時。5年間一緒、家族の一員だったね。ありがとう大五。愛していた」これが大五朗の墓標である。


大五郎と与佐が我が家に来たのは5年前。捨てられた子猫を拾ってそだてている館山のグループから我が家へ来た。約10cmのかぼそい体。動くこともままならず、母のお乳を求めて、2匹がお互いのおなかを吸い合い、ミルクをスポイドで飲ませて大きくなった。
与佐はおっとりした性格でお兄ちゃん格、やんちゃな大五郎は弟分。でも、仲良しいつも一緒にいた。

2013年3月のある日、真っ黒な塊が彼らの餌場にいる。10cm位の丸々とした体。人の気配がするとすばやく消える。なんだろう?と思っていると、段々と餌場に居直っている。全身真っ黒の子猫だ。これまで親と一緒にいたが「いつまでも親と一緒じゃないでしょう。一人で生きていきなさい」と親に去られたのか、段々と台所の中に入り込んできて、この頃では「ここは私の家よ」といわんばかりに走り廻っている。

目はまん丸で、ひげは短く、鼻の形も愛らしく、なかなかの器量よし。女の子だ。チビタン・ハナコと命名。食欲も旺盛。3つのさらに取り分けた食事を、自分の分にもお兄ちゃんの分にも口をつけている。

夏のある夜、前の道路で猫がギャーギャーと騒いでいる。いつまでも鳴きわめいているので追っ払いにいった。何と与佐と大五郎ではないか。こんなことは今までになかった。チビタン・ハナコをめぐってあらそっているのか。その後チビタン・ハナコは、与佐にいつもくっついている。大五郎はさびしそうに一人でいる。

ハナコも早めに避妊手術をしないと危ない。信頼する原島獣医に連れて行ったらあいにくとお休み。一晩預けることにした。置いていかれる時、今まで聴いたこともない悲しげな声を上げている。「大丈夫よ、明日迎えに来るからね」。次の日原島さんの所に行くと、「ハナコは男の子でした」。「エーッ」。



★里山の危険

 ものいえぬものたちにとって里山は、住みやすそうに見えるがそうではない。危険が一杯なのだ。田んぼは農薬で毒水となっている。うっかりすると、猪の毒えさにもぶつかってしまう。これはだまされて体の大きい猪が食べてしまうほどの見せかけの食餌。

クロ(愛犬)も危険な目にあった。散歩のときくらいは鎖を解いてやりたいので放す。樹木のある山すそに走りこんだり、土手を回り道したり。その生き生きとしたうれしそうな様子に、私たちも満足していた。しかし、それがいけなかった。

散歩から帰ってしばらくすると、どうも様子がおかしい。すぐに原島獣医に連れて行った。壁に寄りかかり立っていることも出来ない。「猪の毒餌を食べたら助からない」と聞いていた。一晩と待って様子を見てもらうことにし、次の日逢いにいった。歩くのがやっと。これがあの元気なクロか、と思うほどに老け込んで鳴くことも出来ない。

助かったのは奇跡だった。「ドッグフードを2・3年食べさせているとガンになる」という良心的な獣医である原島さんの話を聴き、火を通した玄米、煮干、くず肉を常食としてきた。そのためか毒を飲み込んだ時、吐き出していたのだ。それで助かったのだった。

街の犬は買われて室内で過ごす。里山の犬は捨てられ、拾われて、それでものびのびと過ごす。だけど危険が一杯だ。
彼らにとって危険なところは、我々人間にとっても危険なのではないだろうか。


自然の崩壊が身近に感じられる

川のほとりの竹やぶで、夕方になると雀が群れを成して鳴き遊んでいた。餌を食べていたのだろうか。それが近頃見られない。電線に群れをなしていた雀の群れも全く見られなくなった。あの雀たちはどこへいってしまったのだろうか。

我が家の庭は、農薬が使われていないので、てんとう虫や蝶、蜂や雀の天国だった。にぎやかな羽音、鳴声で一杯。それが減っているように感じられる。春は菜の花、桜の花に群れていた蜜蜂、夏はオシロイ花やドクダミの花、秋はさざんかの花、冬は水仙と里と庭の花は巡るけど、生き物の賑わいが減っているように感じられる。鳥たちの大好物の柿の実も、いつまでも赤い実をつけたまま。

里山に住み始めて12年。この短い時間で激しく変わった。自然が寂しくなっている。周りの田んぼに稲は実るけれど生き物の気配はない。ざわめきがない。

我が家の田んぼには、名も知らぬ生き物達が一杯で、虫の声、蛙の大合唱でにぎやかだ。めっきりトンボが減ったけど、それでも彼らは知っている、そこが命の泉であることを。害虫も発生するけど、益虫も発生してバランスが取れる。害虫も益虫も人間の都合にとってそうであって、彼らは自らの命を精一杯に生きているに過ぎない。

遊学の森トラストの仲間達と田植えをし、草取りに汗を流す。オシャベリをしながらの稲刈りは楽しいハレの日だ。子ども達も遊びに余念がない。笹がけした稲穂の列が何列にも並び、体の中から充実した喜びが湧き上がる。

同じような繰り返しの農作業「飽きもせずよくつづけられるよな~」と感じていたかつての自分が信じられない。毎年同じような作業も主体・客体全く同じではありえないし、ほのかに満ちるえもいわれぬ充足感は、1人1人のお百姓の身も心も包みこんで、植物との対話に時間を忘れさせているのであろう。

崩壊は、鳥や蜂、蝶や蟻、地上の生き物から始まっているようだ。めったにきじやウサギは見なくなった。子沢山の猪は里に降り、田や畑、土手を掘り崩す。かろうじて土の中で生活するモグラや蛇は健在のようだ。

「科学と技術は私たちの生活を向上させるものと普通考えられている。けれども、一方で科学的知識を生産し、普及させ、新技術を開発してきたこれまでの支配的なやり方はますます危険な性格を帯びるようになり、人間やその他の生物の生存を脅かす凶暴な暴力の原因となりつつある」(ヴァンダナ・シヴァ「農業における暴力と非暴力」)

ものいえぬ小さな動物だけでなく、里山の大きな家に住みながら子どものいない夫婦、身体の不自由を強いられた二人の子供のいる家庭、そして、子ども達は都会に去って二人暮し、一人暮らしのお年寄り家庭。お互いにあまった農産物をシェアーしあう習慣は、かろうじて残っているけれど、田んぼに生物の賑わいが失われたように、人の世界もひっそりと支えあって生きている。

それでも希望は里山にある、と感ぜずにはいられない。企業に勤めることを「飼い殺しの羊」状態と感じる若者が増え、自らの経験の中から里山に移住する若者は後を絶たない。3・11福島原発事故は、それに拍車をかけた、と同時に対抗文化、対抗価値観も登場している。

2014年9月29日月曜日

【あべふみこのあっちこち】薩摩川内原発の反対「金曜行動」

阿部文子


薩摩川内、九州電力の川内原発が、現在もっとも早く再稼動される
可能性が高いという。反対運動の弱いところが狙われている感じだ

「「金曜デモ」は全国で続いている。首相官邸前で始まったのは、東京電力福島第一原発事故から1年後の2012年3月。それ以降、各地に広がった。誰でも会社や学校帰りにふらっと参加できる形を取り、「脱原発」関係以外の訴えは遠慮してもらうなどのルールを設けて、地元の県庁周辺や繁華街、駅周辺などで、毎週金曜日に有志が集まり、原発再稼動に反対する声を上げ続けている。」(東京新聞6月14日)

東京から約千キロかなれた鹿児島県でも、首相官邸前と同じように、原発再稼動に反対する「金曜デモ」が続いている。いつもは十数名のこじんまりした集まりが、6月13日は全国に呼びかけたところ、東京、大阪、福島などから700人が集まった。

いつもの「金曜デモ」は、夕方だが、この日は県議会初日にあわせて、朝から始まった。午前9時、鹿児島県庁前に色とりどりののぼりや、プラカ-ドがかかえられた。官邸前で100回を超えた金曜日の声は、全国の広がり横のつながりも生まれている。

しかし、この行動が、もう一方で今日の資本主義をどう超えるかという問題意識と結びつく必要がある。何故なら、原発は資本主義経済である限り、特にわが国においては、一方で、廃炉にし、廃炉ビジネスとして取り組みながら、他方では、原発の売り込み取引をするという方向をやめることはできないからである

それにしても、がんばれー。わがふるさと鹿児島の「金曜デモ」。

お互いに、川内原発再稼動を許さじと金曜日の声を上げ続けていこう。

2014年8月9日土曜日

【あべふみこのあっちこち】鴨川だより・awanova


阿部文子


7月27日はawanovaマーケット&cafeの日だった。
この日はいつもとちょっとちがって、午後3時からの開催。年1回、全ての出品が100%地域通貨・安房マネーで買える日だ。

連れ合いの田中が出張だったので、歩いて3時にawanovaに到着すると、すでに、カキ氷、コーヒー、パン屋が出店していて、私も店を出す。子供服、おもちゃ、ゆかた、手ぬぐい、お財布、石鹸、醤油、天日塩、お茶など。

awanovaは地域通貨・安房マネーの女性会員3人が2011年に立ち上げたプロジェクト。鴨川・大山商店街に近く、88号線の傍にある小さな食品加工工場を改装したオーガニックマーケット&cafe だ。

屋外にテーブルを並べて仲間が集まる。いつもは月一回新月の日に開催。お昼前後に集まっては情報交換、近況確認、雑談をしながら過ごす。

手に入るものは、オーガニック食品の量り売り、手作り菓子、パン、有機野菜やお米、味噌や醤油や食用油、自家製チーズやヨーグルト、コーヒーやランチ等。時には花の種や苗なども並ぶ。

最近では近所のおばあちゃん達、館山や千葉市内からの参加者もあって話が進む。この日も、東京にオフィスを構えて「鴨川の隣町に引っ越してきて、田んぼも人も確保しているんだけど、農業の指導をしてくれる人がいない」といった若いカップルからの相談があったので、後日、田中を通して新庄のお百姓とつなげることにした。

夕方、私はクロ(犬)の散歩もあって先に帰ったけれど、”影絵”の上映などもあって盛り上がったそうである。

近くの”sugar&salt cafe”で、9月から貸ステージやcafeを開く予定のハリントン・クリス&エリ夫妻を中心に、外国人7-8人がテーブルに集まり、開店への話が進んでいたようだ。

その中の女性が、”ゆかた”に興味を示し、自分の背丈に合った”ゆかた”を購入。まだ安房マネーに参加していないので、現金で400円。でも、とても、とてもうれしそうで、袖を通したりしていた。

awanovaも、ハリントン・クリス&エリ夫妻のsugar&salt cafeもそうだが、今トレンドのコラボレーションである。何かを共通項とする、個人のソフトな協同作業である。クリスたちの場合、日本に在住する外国人、日本人女性と結婚し日本に住むことになった欧米人の交流の場、協同作業の場のようだ。

awanovaに出入りする人達は、半農半Xの人が多い。自分の好きな仕事を通じて作品を創り、ささやかに現金に換えながら生活し、同時に田んぼ創りもする。家族だけでの人もいれば仲間と一緒に農作業し、収穫を分かち合う人達もいる。農作業を通じて地元のお年寄り達との?がりも出来、お年寄り達の知恵を引き継ぎながら、炭焼きをしているグループもある。

しかし、こうした地域の動きが地域の枠にこもっていていいのだろうか。3・11福島原発事故によって、これまであったコミュニティーのつながりはかなり壊れた。子どもを育てる時期にあった10家族ほどが、放射能を逃れて京都、岡山、広島、四国、九州、沖縄へと移住していった。

それまで、私も、この地震列島の上に、40以上の原発があることを意識しないで生活していた。現在ではもうそれは許されない。原発反対の声を上げなければ、地域でどんなユニークな活動をしていても、結局、原発再稼動を進め、原発輸出さえしようとしている政権に加担することになってしまう。

だから時々首相官邸前の抗議行動にも出かける。鴨川や館山での小さな抗議行動にも出かける。そうせずにはいられない。

”もうひとつの世界は可能だ!”この言葉が主張されてから久しい。今日では、資本主義を超えたいというもっと切実な願いが起こっているように思う。だが、そこに至る道筋は未だ不透明である。

若いひとたちの中から生まれている”分かち合い・シェア”の動きは、全ての人々に係わる資本主義の根幹、商品、貨幣を超えようとし、そして私たちの望む働き方に接近している1つのプログラムではないだろうか。

2014年5月28日水曜日

【あべふみこのあっちこち】クロ


あべふみこ

僕はクロ。黒柴の雑種で雄。目の上に茶色のまあるい毛の部分があり、それが目のようで”四つ目”と呼ばれている。
本当の目はまん丸で、真っ黒の体毛の中に沈み込んでいる。

僕の大好きは散歩。

鎖につながれてご主人と小便をしながら歩く・・・そんな散歩を僕は拒否している。
どこまでも続く棚田。ここ鴨川の大山地区は段々棚田のオンパレード。

山の斜面を切り開いて耕した幾重にも重なる棚田。山を背負って、暖かい陽だまりの中腹に、人は住居を構えている。
そういう地形が僕のグランド。藪あり、道あり、田んぼあり、閉められた空家、その角に苔の生えたお墓、こうした空間を駆ける。

林の中にも走りこむ。畑の中にも走りこむ。気持ちいい、爽快。鼻はぬれ光り、目は輝き、全身が喜びで一杯。
僕は犬に生まれてよかった!

”クロ帰るよ”。帰るという言葉はクロが理解している数少ない言葉の一つである。
クロという名前が、自分のことなんだと、一番に理解した言葉で、”散歩”という言葉も大好きのようである。

朝早くと、夕方5時ごろになると散歩を催促する。おなかがすいているとたべものをほしがるが、満腹すると、もうほしがらない。
25cmほどの小さなクロが、我が家に来てから10年がたった。立派に成人し、庭先で番犬の役割を勤めている。

私たちを散歩に連れ出し、一日のメリハリをつけざるを得ないようにしてくれる。動物と人間の関係は、やはり家族なのであろう。

2013年12月14日土曜日

【あべふみこのあっちこち】母親達に広がる遺伝子組み換え問題への関心

あべふみこ

2013年10月4日、地域の子育てをしている母親達のグループと、遺伝子組み換え食品等について話し合いを持つことになった。DVDも何本か見て、いまさらながら、遺伝子操作の問題の巨大さに身震いした。

20名近くの母親達が集まって、熱心な話し合いがもたれた。幼い子ども達が這い廻ってにぎやかな光景である。彼女らの関心は、どうしたら遺伝子組み換え食品を避けられるのだろうか、ということであった。

語り合っていくうちに、結局は自分達の生活の仕方を変える必要があるということになった。生産、流通、消費の仕方を、今ここから、自分達のできるところから替えていくこと、個人ではなく仲間を作って行動していくこと、疑問に思ったら声を企業に届けること、そして企業を変えていこうということになった。

無農薬・無化学肥料栽培の野菜を使ったスパゲッティーを皆で作り昼食、楽しい時間をすごした。うれしい時間をありがとう。

2013年10月3日木曜日

【あべふみこのあっちこち】猫“チビタン”

阿部文子

 12cmほどの丸々とした黒い塊が、“与三”と“大五”のエサ場にいる。人の気配がするとさっと消える。“何だろう?”と思っているうちに居座って“与三”と“大五”のエサを食べている。

全身真っ黒。目を閉じるとその存在がわからなくなる。目はまん丸でひげも短い。名前をつけた。チビタン・ハナコ。

ある夜、猫が道路で争っている。ギャアギャア。どこの猫かなと思って見に行くと“与三”と“大五”ではないか。チビタン・ハナコが来てからの現象。チビタン・ハナコは“与三”に寄り添い、“大五“は一人ぼっちで寂しそうにしている。

チビタン・ハナコは、親にはぐれて我が家にまよいこんだ。“与三”と“大五”は館山の海岸に捨てられていて、縁あって家へ来た。かぼそい8cm位の体で、2匹でお互いの腹を吸い合っていた。牛乳でやっと命をつないでともに大きくなった。

それに比べ、チビタン・ハナコは“与三”と“大五”のエサを横取りし、そのうちに堂々と台所に入りこんでは、“ここは私の家だ”と言わんばかりに走り回っている。夜遊びも覚えた。

夜になっても帰ってこない。そのうちに、近所の猫まで庭に入り込んででは、ギャアギャアと鳴いている。

アブナイ!メス猫をめぐって争いが起こっている。早く避妊しないとアブナイ!やっと捕まえて囲いに入れ、いつもの獣医に連れて行った。一晩預かってもらい手術を受けることになる。別れ際、聞いたこともない泣き声で私達を呼ぶ。

翌日、朝迎えにいった。「ハナコは男の子でした」。「エーッ!」おどろいたのなんのって。てっきり女の子とばかり思い込んでいたのでした。

2013年3月30日土曜日

【あべ文子のあっちこち】町に行く行商のみやげ

地元の新鮮な野菜や手作り加工食品などを売っている”みんなみの里”。そこに小さな展示室がある。
あるとき偶然に谷内六郎の個展に出会った。30点ほどの無料の小さな個展。
そこにおいてあった画集「四季・谷内六郎」を思わず手に入れてしまった。1300円。

めったに絵画の本は買わない。高価ということもあるが、そればかりではない。絵の傾向に一貫性がないと感じているからだ。

「四季・谷内六郎」の中に心引かれる1枚がある。「町に行く行商のみやげ」。

「もう遠い日のことです・・・・魚貝やひものの類を行商に行くお母さんの荷に、町へのみやげらしい桃の枝がそえてあるのを見ました。・・・
今でも魚貝やひものの類の行商は、むかしからの方法で行われています。東京にも古い顔なじみの家々をたずねて「今日はウニの上等なのがある」などと荷を開けています。
行商は漁村のお母さん達の重要な仕事のようです。」(「四季・谷内六郎」P28 )

本当に遠い日のこと、私の郷里の鹿児島でも、父や母と共に住んでいた家の玄関に、行商のおあばさんが干物を広げていたのを思い出す。東京でも九州の端っこの鹿児島でも、全国に行商のおばさんたちは展開していたんだ。

しかし、このなつかしい風習は廃れてしまって、心温かい行商のおばさんたちと共に、新鮮でうまい干物を食べる機会を私達は失ってしまったのではないだろうか。大切な生活文化のひとつを失ったのではないだろうか。

2013年2月10日日曜日

【あべふみこのあっちこち】クロチビ「ハナコ」


あべふみこ

2013年に入った寒い日の朝、与佐と大五の屋外の餌場に黒いものが見え、気がつくと見えなくなる。そのようなことが2~3回あって、それが黒い小さな猫だとわかった。

寒いので猫達2匹(与佐と大五)の餌場を台所屋内に移すと、そのクロチビも上がって来た。人を見ると逃げるのは野良猫の習性らしいけれど、しかし、ここまで大きくなるには親と一緒にいたのではないか、とは友人の弁である。

目を開けていないと、どこが顔やらわからないほど、見事な全身黒一色。目はまん丸パッチリと鼻の曲線も愛らしく、それはそれはかわゆいおじょうちゃんである。しかもやんちゃで、おにいちゃんたちにかまっては、ウルサイ!とおこられながら、走り回っては遊んでいる。

2週間ほど、湯たんぽの入った箱の中で寝ていたが、最近は与佐お兄ちゃんと一緒に私の布団の上で寝ている。“お腹がすいた”の要求も激しく、1食小さな煮干20匹ぐらいでは満足しない。犬クロと一緒の肉汁、玄米、煮干粉をミキサーしたものが大のお気に入りである。

こうして我が家は、犬1匹(クロ)、猫3匹(大五、与佐、チビクロことハナコ)それにニワトリ4羽(卵の自給をしてくれている)の10人家族となった。都会に住んでいる頃、想像だにしなかった事態がいつの間にか起こっており、二人で泊まりがけで出かけることが難しくなった。

里に住むとは、そして里の豊かさとは、人も自然の一部であり、山や川、樹木や草の自然全体と、そこに住む動物たちとの共生なのであろう。

2012年9月13日木曜日

【あべ文子のあっちこち】与佐と大五


あべ文子

館山の海岸で捨てられていた子猫。それを拾って世話する人達のところから来た子猫、与佐と大五。
わずか10cmの体で我が家に来た。尻尾の長さは同じだ。兄弟という。母のお乳をもらえない二匹は、お互いのおなかを吸い合って生きてきた。少しの牛乳と共に。

与佐はお兄ちゃん。体もやや大きく、おう揚でゆったり。目的のネズミ捕りに天井裏に入れても、20分ほどで出てくる。足元でゴタッ横になって、ナデナデしてくれるのを待っている。首をなでてやると、ゴロゴロいって喜んでいつまでもせがむ。


弟の大五は、ネズミ捕りに天井裏に入れられても、出口がわからなくて、4~5時間出られない。果てはミャーミャーと鳴き叫んで救出される。ゴタッと横になっては、かわいがってくれないかな~と首をもたげて催促する。しかし、すぐに飽きて、ナゼナゼの時間は短い。

夜行性というけれど、昼間も遊んでいる。二匹でじゃれあっては遊ぶ。大五が仕掛けて、与佐はウルサイナー・モーらしい。縁側にいる犬(クロ)がつながれていることを知っている与佐は、2mくらいまで近づいては人に擦り寄ってくる。大五は決して近寄らない。犬がほえてもビクッと顔を上げて警戒する。

でも、食事の時間はすばやい。二匹ともどこにいても、チャッと寄ってくる。食事は朝昼晩とイワシの煮干2匹。並んで夢中で食べる。与佐はそれで充分。大五はそれでも足りない。ミャーミャーミャー。でも、要求に合わせて食べさせるととんでもないことになる。猫でもこんなに個性があり、性格が違う。付き合っていても飽きない、カワユイ!

2012年9月11日火曜日

【あべ文子のあっちこち】バイオハザード


あべ文子

就学前の子どもを持つ若い友人が、緊急入院した。最初の意識不明の段階からは解放されたが、退院した現在、言葉や文字に対して不自由でリハビリ中という。

海のほとりに住み、家族と共に健康食品や化粧品を扱う素敵なお店を経営し、かたわら仲間と共にお米などを作っている。漁業権も持っていて、生ひじきや海藻など、海の幸には事欠かない。

空気のいい海の近くで、健康そのものの生活に、襲いかかった災い。私はバイオハザードを直感した。

古くは水俣病やスモン病,アメリカで昭和電工が引き起こした健康補助食品・トリプトファン事件など。最近では肺ガン用抗癌剤イレッサの問題がある。「肺ガンにかかった時、ガン細胞だけを狙い撃つ夢の新薬。入院の必要はない。好きな時に1日錠飲めばいい」と医者にすすめられた肺ガン用抗癌剤イレッサは,承認後わずか2年半で557人の命を奪った。アメリカでは2003年承認、2005年に投薬禁止、EUでは2005年に承認申請取り下げ、その後2009年に適応限定で承認、スイス、カナダ、オーストラリアでは、原則投与禁止。

日本ほどこのイレッサの使用を認めている国はない。2003年、遺族が製薬会社と国をあいてに訴訟を起こした。しかし、失われた命と健康は永久に償えない。

原子力委員会と全日本スパイス協会が推薦する放射線「照射食品」も問題になっている。大好きなカレーの材料のジャガイモが芽止めのために照射され、市場で見かけることもあった。身近な野菜では、ウコン、たまねぎ、人参、にんにく、ショウガ、ゆず、ニラ、ねぎ、ごま、セロリーなど、94種類もの野菜やスパイスが腐りにくくするために、照射の要請が出されている。放射線照射のベビーフード事件で、食品衛生法違反で、新聞に取り上げられたこともあった。



オーストラリアでは、固有の動植物を守るために、照射されたペットフードが輸入されたが、それが猫達に足の麻痺を引き起こし、2009年に照射禁止になっている。(「照射食品反対連絡会事務局」ホームページより)

いまや私達も身の回りは危険で一杯だ。もし、表示されないまま、照射食品が出回っているとしたら、どういう異変を私達にもたらしているのかわからない。原因不明の病気なら、これらの薬害を疑うこともできるけど、野菜の照射では、まさか野菜が原因とは本人も思わないし、まして医者に主張することも出来ない。


私達は流されて、大変な時代を招来してしまった。まずは、身の回りの食品や生活用品、生活習慣の点検から初めて、それを口コミしていく必要があるのだろう。一方で、原発廃止、遺伝子組み換え技術の中止を訴えていかねばならないだろう。あらゆる機会に、私達は子ども達を守らなければならない。

2012年2月24日金曜日

【あべふみこのあっちこち】自然災害の凶暴化

あべふみこ

世界各地で大災害が続く。
「これらの自然災害は長期的な傾向で、地球規模で機構は凶暴化している」と日本水フォーラムの竹村公太郎事務局長がひとつの証拠を紹介している。(JWFNews77号)


それは広島県厳島神社回廊の浸水回数である。見るたびに、はるかいにしえの不思議な想いを起こさせる赤い鳥居のある回廊である。

「1555年の大改修以来同じ神社について、神主がつけてきた日誌」に「高潮による浸水が2000年までは、年間0~4回だったが、21世紀に入ると7~22回と異常に増加した」。「几帳面な日本人が」500年以上にわたってつけてきた記録である。

100年以上の記録による降雨や河川流量も「変化幅が激しくなる傾向」を示しているそうである。

地球レベルの「自然災害の凶暴化」に対して、私達は太刀打ちできることはないのかもしれない。それでも、私達は、公害や田舎に移住し、土に働きかけて食べ物を自分で作り出す努力をしたい。半農半Xの生活を仲間とともに助け合い分かち合いたい。人間が地球上でどんなに弱い存在であるか感じる今日この頃である。

2011年12月17日土曜日

【あべふみこのあっちこち】「11・23キックオフ!脱原発をめざす女たちの会」に参加して

あべふみこ


11月23日座高円寺2は、胸に熱い思いを抱えた女たちであふれた。600人収容の階段状の会場は超満員。階段にも座り込んで、トーク者と思いを同じくした女たちの声も飛ぶ。

加藤登紀子さんの歌とトークに始まって、約40名の女たちが熱く熱く語った。まずは、浜岡、福島、若狭、上関、もんじゅ等、原発現地からの9人の女たちの発言。放射能の影響は多かれ少なかれ、そこに参加した人々を共通に悩ませている問題ではあるけれど、現地の人々の切実な訴えには胸が熱くなる

次は、長年脱原発を求めて動いてきた組織の発言である。日本消費者連盟、高木仁三郎さんの意志の表れである原子力資料室、もんじゅ、島根の原発差し止め裁判弁護団等。長年の努力にもかかわらず、脱原発は成らず、福島の大変な事故を迎えてしまったことに苦渋の思いがこめられていた。

しかし、その困難がどれほどのものであったのか。
アメリカにおいては核戦略への取り組みの意図を持って、また日本の支配層(東京電力などの電力資本と政府)においては「パックスアメリカーナ」受容の下、国家の確立と大国的仲間入りを目指した「原子力の平和利用」であった。科学技術に対する信仰のような幻想が「一大国民的イデオロギー」として作用し続けた。
福島原発事故後、人々の知るところとなった科学技術の欠陥、そして政府・東電を頂点とした原子力村のおぞましき実態。こうした状況の中で、原発に反対する人々は「一大国民的イデオロギー」を突き崩すべく行動した。こころから拍手を送らずにはいられない。

その後、新旧の知識人、芸術家等約20人のスピーチ。アイヌの宇梶さんは印象的だった。
「自分で作れないもの、水、土、空気・・・神のつくりしものを汚すことは、神を冒涜するもの」と。巨大な設備を造れば造るほど儲かるという資本の論理と異なって、子を産み育てる女性の視点は、資本の論理と相容れない。

2012年3月、福島現地での全国集会、4月7日、6月2日のパネルディスカッション等、今後の行動を確認して「女たちの脱原発宣言」。閉会の挨拶は、病院からかけつけられた吉武輝子さんがされた。

懐かしい人々の元気な活動を知ることも出来た。思わぬ人の髪が白いのを見て歳月の経過を感じた。
しかし残念なことに、3・11を経て、それまでの価値観で生きていけないし、生きてはいけない、と感じていることに対する言及はなかった。私達は怒りにとどまってはいけないのだ。新しい価値観は、すでに現実に登場している。

2011年12月4日日曜日

【あべふみこのあっちこち】ー新しい社会へーあべふみこ


震災は多くの人を海に沈め、土の中へ追いやった
彼らは理由もなく、そこへ追いやられた

生き残った者には責任がある
新しい社会を、新しい価値観を創っていく責任が

もう3.11前には戻れない

おし進めよう強力に
助け合いと、分かち合いのシステムを!

所有から共有への価値観を!

生き残った船と設備を糧に漁師が力強く
共生への道を踏み出す

太平洋岸の海の町 宮古市
森林に囲まれた小さな漁村
そこで始まった重茂(おもえ)「漁船シェアーリング」


約580人の漁師たちが力を合わせて
自分達が失業する危機をのりこえた

彼らをとらえていたのは、
生産物を消費者へ供給する責任であった

里では自分達の力を奪われないようにしようと
半農する若者が増えた

お米の協働に始まり、味噌、醤油、野菜、自然素材のお菓子まで

そこ、ここで小さな生産を共同で行い
分かち合う動きがおこっている

被災した海の民や里の民と
被爆した人々を見守り、助け合い、分かち合う
そんなシステムを世の中に
広く深くすすめていこう

そして、断末魔の資本の打ち出すTPPを越えていこう

ともに助け合い、分かち合っていこう
ともに助け合い、分かち合っていこう

2011年8月12日金曜日

【あべ文子のあっちこち】クロの散歩2

新庄水田トラスト世話人:あべ文子

クロの散歩エリアは今、稲の花盛りである。稲の穂がいっせいに出揃い、花の香りを強烈に発散している。見渡す限りの棚田。棚田の向こうの丘の裾野に人家が点在。

農家の人とであった。

私:“すばらしい稲の香りですね~”

農家の人:“そ~か!鼻がいいんだね”

そうか、絶えず稲のお世話をしている人には感じられないのか。稲のお世話をしない人(私)の特権なんだ。

鼻のいいクロは、この香りを満喫しているに違いない。尻尾をなびかせて車の後を走るクロ。かわゆい。

3月11日以降、放射能は降り続ける。

そうした中で迎えた8月6日、原爆の日。

広島に5万人が集まったといわれる原爆の祭典。

そうした人々の悲しみを知らず、やさしい目をして人々の中にいるクロ。2011年8月6日。今日はawanova、鴨川地域の交流の日。


2011年7月29日金曜日

【あべ文子のあっちこち】クロの散歩

新庄水田トラスト世話人:あべ文子

大山千枚田への本道から約200m下のわき道を登っていくと、
丘の上にしゃれたそそとした建物“うつわカフェ草”がある。景色は抜群。

“うつわカフェ草”を温かく迎えるように、棚田が深くえぐれて周りを取り囲む。その中に人の家がポツポツ。

赤い鳥居がせり登ったはるか向こうの中腹にある。空に向かうと山々が連なり、時には、富士山も見えるそうな。

その一帯がクロの散歩エリアである。時たま散歩の人や車とゆきすぎる。日当たりはよく、林や田んぼもある。

小さな棚田の入り口でクロの鎖を解いて車から降ろす。車が走り出すとクロは後ろからついてくる。絶えずバックミラーで確認しながら進む。

オヤ!いないぞ!ア、いたいた!はるか後方の草むらでおしっこをしている。終わると全速力で追いついてくる。

途中で私も車を降り、坂道を歩く。“うつわカフェ草”の近くを通って目的地に着くと、すでに田中は坂道をランニングしている。スワイショー、八段錦などで体をほぐす。

その間クロは,全身から命の輝きを発揮させながら走ってくる。100m先の民家の方へ畦を疾走していく。尻尾がたなびいている。

視界から消えたかと思うと出てくる。近くの牛を飼っているところまで行ったらしい。坂道を駆け上って来ては、空き家の庭先で消える。

こけむしたお墓の並んでいる前を横切っては堆肥場へ行き、堆肥の中を掘って掘って堆肥を飛ばしている。ア~、やめてほしいな~。体全体、堆肥でくさくなるよ~。

“クロ帰るよ~”。“帰る”という言葉はクロが理解している数少ない言葉の一つである。

「クロ」・・・これは自分のことなんだと最初に理解した言葉で、必ず反応する。そのほか理解している言葉は“散歩”、“まっすぐ”、”ダメ“、”待て“・・・。

嫌いなものは雷のゴロゴロ、鐘の音,暴走するオートバイ。居場所を求めてウロウロ、机の下や、薄暗い部屋にいこうとする。

クロがほえる時は、必ず理由がある。通常自分のエリアに人や動物が入ってくると激しくほえる。ただし、かつて一度でも食事をもらった事のある人はしっかり覚えていて、飛びついて喜ぶ。実に繊細で高度な臭いに対するセンサーを持っているとしか思えない。

ご飯は朝夕2回。原則として玄米・野菜・煮干魚。おなかがすくと、独特のほえ方で要求する。満腹すると、私達が食べていてももうほしがらない。

散歩は原則として朝夕2回。そろそろ散歩の時間になるとそわそわする。ウンチやおしっこは散歩の時しかしない。自分も人間だと思っているふしがある、というより人とか犬ととかの区別が彼にはないのかもしれない。

自分の意思をしっかり通し、いやなことは断固として拒否する。ほんとうに可愛い。

彼がいることでどれだけ私達の生活が変化にとんだ、しっとりしたものになっているかわからない。感謝しているよ、クロ!