2011年5月2日月曜日

【震災アクション】さわのはな生産者からのメッセージ

● 農縁代表、高橋保広さんの知り合いで、震災支援を行っている方の仲介で宮城県気仙沼の120名ほどの方の避難所になっている紫会館に芋煮、炊き出し支援に農縁生産者一同で参加した。
 3月末には村では総会や隣組の集まりがあり、一杯のむ。今年、そこでの話題は地震、津波、原発だ。そして、車の燃料・ガソリン入手の苦労話。    
【 今田 多一 】

● 4日、気仙沼に炊き出しに行ってきました。朝5時に新庄を発って、気仙沼の避難所の皆さんへ、現地で五目御飯と芋煮を炊いてお昼に振る舞うのがやっとでしたが、温かい食事は被災者の方々に喜んで頂けました。

 農縁メンバーと若手総勢20人でマイクロバスとトラックに食材とガスボンベなど積んで出かけたのですが、120人ほどの被災者の方へたった一食の食事を振る舞うことしかできなかった自分の無力さを感じるが、こんな小さなことでもみんなの思いやりが被災者の方々を励ましているのは確かです。

 がれきの山、倒壊した家屋、流された線路、ひび割れた道路、トイレも使えない、風呂もない不衛生な生活。震災から一ヶ月が経ち今思うことは、やはり復興です。それには自分達が日々活気ある日常を取り戻し、元気になれる者から元気になり、強い日本にならなければ復興は遅れるばかりです。原発の放射能や度重なる余震、心配はまだまだ起きそうですが、あのがれきを片付けるだけでも3年以上。長い復興の年月がこれから始まるのです。

 政治や電力会社の批判や嘆いてばかりでは前に進めません。まず自分達が一歩を踏み出し、日常を取り戻すことです。
【 星川 公見 】

● 私たちが炊き出しに行った避難所は気仙沼市の高台にあった。住む家を失った120人ほどの方が、不便な生活を余儀なくされていた。子どもの姿が見えないので、そのことを聞く。近くの高みの学校に家族とともに避難生活をしているとのこと。炊き込みご飯18升(27kg)、山形名物“芋煮”200食分が煮えるまでの間に少し辺りを見回す。
宅配トラックで支援物資のジャガイモやにんじん、たまねぎなどが2箱3箱の単位で届きテント内に積まれていく。善意の贈り物なのだが、今は役にたたない。調理をしようにも120人分の食事をつくる場所と設備と賄う人がいないのだ。
柵越しの下方の民家に目が止まった。被災者に向けてのものと思われる「何とか なる。」の文字。その玄関先の軒下で散髪をする老いた親子。坂道を挟んだだけのそれは、それはあまりにのどかな光景だった。
【 遠藤 敏信・】

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