2011年12月4日日曜日

【原発アクション】「循環だより」放射能と微生物 小泉循環農場の模索

20年ほど小泉循環農場から毎月2回有機野菜を送っていただいています。それはすばらしい野菜で、おそらく半分以上はタネを自家採取して育てておられる。
成田国際空港の近くの三里塚で、3.11原発事故以降、放射性物質を微生物の働きによって低減させる方法を模索しておらるようです。
送っていただいた野菜のダンボールの中にいつも「循環だより」というメッセージが入っているのですが、今回の「循環だより」に放射能と微生物について書かれていたので、農家が模索しておられる一端をお知れ瀬できればと思い、小泉さんの了解を得て掲載させていただきました。(田中正治)

小泉さん

循環だより(2011.11.14-11・26)
計測器が教えてくれたこと(3)

原発事故以後集めた800ベクレル/kgの落ち葉堆肥を米糠で発酵させ、100ベクレル/kgまで下がったのを計測したのは埋橋君だった。そしてその場所は地下の穴の中だった。彼は今年の夏からGAIAの出向社員として循環農場で働いてくれている。彼は5年ほどGAIAで働いていたが、原発事故以降、「もう農業しかない」と直感的に思って、休日のたびごとに我が家に援農に来てくれていたのだ。

どうして地下の穴の中で測ったのか。そこは空間線量が0.03マイクロシーベルト/毎時で、地上1mでの値、0.1マイクロシーベルト/毎時と比較して格段に低いのだ。毎年さつまいもを貯蔵する穴(深さ2m、幅60cm、長さ40m)を大型トラクターに装着した専用の機械で掘ってもらうのだが、作業終了後、その穴に計測器を持ち込んだところその値が出た。そこでひらめいたのが、地下の測定場と孫達の遊び場だった。原発事故によるいまわしい放射性物質の影響のない空間がそこに出現していた。

その芋穴の一部をさらに50cmほど掘って、生姜を貯蔵する穴を作る。生姜は貯蔵する作物の中で一番寒さに敏感なので、温度が15度ぐらいで一定している深い場所に保存しなければならない。その50cm掘る作業を埋橋君にやってもらった。作業終了後感想を聞いたところ、「いやー、穴の中は気持ちが落ち着きましねー」というので、生姜を貯蔵して、余った場所に横穴を掘って、計測器で測定する場所を彼に作ってもらった。彼は嬉々として横穴を掘った。彫れば掘るほど線量が下がるかなと期待したが、0.03マイクロシーベルト/毎時以下には下がらなかった。

それまでは、出荷場の中の、みんなでお茶を飲むテーブルの上で測定していた。そこは、0.08マイクロシーベルト/毎時ほどあって、測定時にその線量の影響もあり、張りの振幅が大きいのだ。そこで、線量の低い空間を必要としていたのだが、うまい具合に地下測定室が誕生したというわけだ。室の中は針の振幅が小さく、格好な場所だった。そこで測ったところ、米糠で発酵させた落ち葉堆肥が、100ベクレル/kgだったのだ。
実験中の落ち葉堆肥は、まだ積み込んでから三週間ほどで、もう一度切り返しをして様子をみてみようと思う。籾殻と米糠を発酵させた肥料は、積み込んでから約一ヵ月半ほど経過し、途中一度切り返しさらに寝かせ先日測定したところ、ほとんどバックグランドの値と同じレベルに達したので、少しずつ使い始めたところだ。

何が作用して、米糠との発酵の過程で、放射性物質が減少していくのか、それは専門家の調査、測定を得なければわからない。福島県二本松市で有機農業に取り組んでいる近藤恵さんの情報によると、金沢大学の名誉教授・田崎和江さんがタンザニアの自然放射線の高い地域で発見した微生物が、放射性物質を分解し、小さくし、それを包み込んで放射線を発しなくさせる働きをするとか、また、田崎さんが福島でも同じような微生物最近を見つけ、現在、地元の企業と連携し、現地で実験中だと言うことである。

また、茨城県石岡市で、有機農業を始めたケム君とキマちゃんの情報によると、米糠に光合成細菌があって、温度が高い夏場に畑に米糠を撒くことで放射性物質を減らすことが出来るとの話が、茨城県の有機農業者の集まりで話されていたとのこと。また、多古町のニワトリ村からのFAXによると、広島学院大学の佐々木健教授が、光合成菌を微細な穴をもつセラミックに吸着させ、セシウムを含んだ水の中に入れて、マイナスイオンを持った光合成菌がプラスイオンを持つセシウムを取り込むという実験を福島で行い成果を挙げたとのことである(中国新聞、2011,10,26)

金沢大学の田崎さんが福島で講演した時に質問が出て、その微生物は何という名前かとの応えに、「微生物には名前のついていないものがほとんどだ」というようなことを話されたとか。それはとてもうなずける話で、米糠による発酵の過程で、何がしかの微生物菌が放射性物質を減少させる働きをしているとすれば、竹でも木でも紙でも、何でも土に戻してきた僕とすれば、その試みの極みでもある。続きはいずれまた。

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