鴨川の安房マネー(地域通貨)の林良樹さんと農縁・水田トラスト事務局の阿部文子さんが宮城県・気仙沼から福島県・飯館村そして栃木県・鹿沼へと行きました。
宮城県・気仙沼から福島県・飯館村そして栃木県・鹿沼と3回にわたって、林良樹さんのレポートを掲載します。
(林さんの掲載許可をいただいています。)田中正治
引き続き、栃木県鹿沼市の報告です。
飯館村の方が、80人ほど避難していると、飯舘村の家の役場の人から聞きまして、鴨川に向かう途中、栃木県に寄りました。
鹿沼市の総合体育館には、約200名の避難民がいました。
飯館村の他に、大熊町や南相馬市の原発20圏内、30圏内の方々がいました。
鹿沼の体育館には、地震、津波、原発の三重苦の被災者がおり、もう帰るところがない人たちがいました。
最初、3つの地域のリーダーに支援村の話しをしたら、この話しは、他の地域の興味のある人に直接聞いてもらったほうが良いということになり、急遽、鹿沼市の自治体と話しあいをし、翌日の午後3時から支援村の説明会を開いていただくことになりました。
福島原発から、4キロ先に住んでいた方とお話ししましたが、「もう一生ふるさとには帰れなくなりました。」と、目に涙をためておっしゃっていました。
「もう、本当に原発は嫌です。」という子供を抱え震える若いお母さん。
「すべての夢を砕かれました」と肩を落とすお父さん。
「また、学校で友達にあいたい。」と泣く子供たち。
本当に、すべてを失った人たちがここには、いました。
もう、必然的に新しい土地に行き、いちから始めるしかありませんと無念そうに語っていました。
地震や津波ならまだしも、原発だけはどうにもならないと、みんな肩を落としため息をついていました。
気仙沼と違って、放射能汚染地域は戻って復興することが、出来ないのです。
この先何十年も、もしくは、もっと。
翌日の午後、鹿沼に避難している方に鴨川のお話をしました。
人生のステージを飼えるので、皆すぐには動けませんが、新天地に向かう人には、候補地の一つになったかもしれません。
これは、長期戦になります。
破壊と創造
希望と絶望
愛と憎しみ
色んな事が、なにもかも同時に流れ始めています。
日本という船が、大きく方向転換し始めています。
生みの苦しみです。
僕らは、新しい社会という出産の現場に立ち会っているのだと思います。
素晴らしい出産をして、元気な子を産みましょう。
林良樹
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