鴨川の安房マネー(地域通貨)の林良樹さんと農縁・水田トラスト事務局の阿部文子さんが宮城県・気仙沼から福島県・飯館村そして栃木県・鹿沼へと行きました。
宮城県・気仙沼から福島県・飯館村そして栃木県・鹿沼と3回にわたって、林良樹さんのレポートを掲載します。
(林さんの掲載許可をいただいています。)田中正治
昨夜(4月6日)、鴨川に戻りました。
現地での様子を報告いたします。
4月4日、僕と阿部さんは、山形県新庄の有機農家のグループと総勢18名と物資を持って、気仙沼の炊き出しボランティアへ行きました。
気仙沼は、もう言葉がありません。
自然界の力を思い知らせれました。
あっという間に、圧倒的な破壊力で海辺の街、集落が消えてしまいました。
人も、生活も、家族も、家も、車も、お店も、船も、旅館も、電柱も、お気に入りの宝物も、パソコンも、スマートフォンも、犬も、猫も、歴史も、何もかもが粉々に砕かれていました…。
人口7万人の内、死者行方不明者2000人、避難民12000人で、多くの人は、高台の体育館や公民館にぎゅうぎゅうに暮らしていました。
着の身着のままで、命からがらで逃げて来た人々が、肩を寄せ合って助け合いながら、なんとか日々を過ごしているといった感じです。
僕が行った公民館にいる2~30の方々に鴨川の説明をしました。
また、その避難所のリーダーや、世話役の青年Sさん、また市役所にも、支援村の説明をし、資料を渡しました。
避難民の方に鴨川の話しをすると
みなさん、それはいいですね、
考えさせてくださいといっていましたが、
すぐに動く気配はありませんでした。
まだ先のことが考えられないといった状態でした。
家族と相談してみますと。
ただ、気仙沼の全体の2割位の海辺の低い土地に住んでいた方だけが被害にあい、他の8割の住民は、健在なのです。
だから、気仙沼全体のコミュニティーは破壊されていないので、他地域から来たボランティアだけでなく、地元の支援も多くありました。
また、一時避難で気仙沼以外の他の場所に移っている人は、土地感のある近隣の市町村に避難している人が多いようです。
しかし、市も、県も、国も、対応が間に合わず、補助金が一人10万から50万円位しか出ないかもしれません?と聞きました。
やっと、仮設住宅の建設が始まったようですが、百世帯くらいしかなく、まだまだ厳しい状況が続く様子です。
なので、今のところ鴨川に避難して来るかどうかは、なんとも言えません。
これからどうすっぺかね…といった先が見えないという感じでした。
そんな中で、とりあえず心身を休めるために、バカンスのつもりで短期間でもいらしてくださいとお伝えして来ましたが、今、気仙沼の人達の希望は、暮らしの再生であり復興でありました。
その希望があるからこそ、不安定な避難所生活にも笑顔がありました。
林良樹
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