(有)農業者協会
佐藤あい子
佐藤あい子
当社の被害は軽微でした。地震発生後3日目に回復した電話・インターネットを使って宮城、岩手、福島在住の顧客・知人などに連絡を試み続けました。被災地のほとんどが、通信網・連絡網を寸断され未だに回復の見込みが立たない所もあります。
3/24 宮城県石巻市伊原津にお住まいのkさん(水田オーナー会員)の消息らしい記事が、ネット上で見つかりました。ご無事であったものの地元の病院に詰めっきりで、ご自宅にも帰れないでおられるらしいとのこと。医師会や市当局に問い合わせると、それは伊原津の敬愛病院(精神科医療)らしく、その辺りは地域全体が壊滅状態で、完全に孤立し、被害の状況もつかめておらず食料などの支援物資もまったく届いていない・・・とのこと。
3/26 いろいろのモノをかき集めて長田社長が走りました。米、味噌、醤油、ハト麦茶野菜、灯油、練炭コンロ、その他支援物資を積み込んで。
<Kさんは勿論ですが、そんな状況の中で病院を守っておられるはずの先生方や職員、そして患者の皆さんの事態を考えると、じっとしていられなかった(談)>
訪ね当てたKさんは、「敬愛病院の院長先生」でした。
「院長先生は大変お疲れで、昨日からお休みです」とのことで、直接お目にかかることはできませんでした。3日前に自衛隊が入ってきてくれたそうです。それまでの10日あまり外部との繋がりを絶たれ、食料、水その他なんの供給もなかった。水は1階の天井近くまでその痕跡を残し、水に流されて院内に入ってきた遺体の収容も充分にはできなかった。自衛隊が来たとはいえ、何もかも足りません。長田社長は持ってきた支援物資を下ろすと、更なる支援を約束して戻りました。(本日30日に2回目の支援に出発しました)その後、ネット上にKさんー木村勤院長ーが話されたというその時の状況が伝えられていました。掲示板上からの文言を下記に一部転記致します。
『地震が強かったので(外に出ようと)全員1階に避難させた所に大津波に襲われ、2階から救助したり、職員が水に潜り助けた。看護部長は何回も水に潜り最後には(自分も)水没した状況になったが、かろうじて救命した。助かった83名の患者は、病状が悪化し水、食料、医薬品も不足の状態で大変な状況である。・・・後略』
長田社長の話では、病院の内も外も今なお目を覆う状況で、これからも何とか支援を続けたいと思っています。
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