田中正治(ネットワーク農縁、新庄水田トラスト事務局、遊学の森トラスト代表)
A)大豆畑トラスト、水田トラストとは?
1995年3月雪深い山形県・新庄の農家20名と東京の市民20人が、お米の産消提携グループ・ネットワーク農縁を立ち上げた。「百姓衆」は先祖代々の農家だが、東京の市民は素人の集まり。
1996年アメリカから遺伝子組み換え(GMO)大豆が輸入されると言ううわさを聞きにわか勉強した結果、”何かとんでもないことが起こるらしい”と急遽、日本消費者連盟に相談。「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」が立ち上がり、全国50数箇所で「大豆畑トラスト運動」が始まった。
1997年2月猛吹雪の中、新庄で大豆畑トラスト全国集会を開催。GMO大豆STOP!と大豆の在来種を守る大豆畑を増やそう、が合言葉になった。会員は年間¥4000で大豆畑をトラスト(信託)。農家を援農したりして、収穫した大豆や加工した味噌、醤油、納豆などを受け取るシステムだ。
そうこうしている内に、日本の大企業や農林水産省が遺伝子組み換え(GMO)稲の開発をやっているらしいとわかり、GMO稲STOP!と稲の在来種(”さわのはな”)を守る「新庄水田トラスト」を開始した。トラスト会員は年間¥30000で水田をトラスト(信託)し、収穫したお米を会員で平等配分するというシステムだ。現在、僕はネットワーク農縁の事務局を担当しながら、千葉県・鴨川で田んぼ10aほどを友人達とトラストで耕作、半農半Xの生活をしている。
”種子を支配するものは世界を支配する”と言うことわざがあるが、種子は数千年もの間、大地と農作物に向き合う農民によって自家採種され伝承されてきた。今、GMO種子を開発した多国籍巨大化学資本と国家が、農民の歴史的伝統を破壊しつつある。命の源泉・種子を支配することによって農民と食糧を支配しようとしているのだ。
B)世界では誰が種子を支配しているか?
化学系多国籍国際独占企業による買収・合併で、種子の世界的独占支配が進んでいる。2015年12月、デュポン(米国)とダウ・ケミカル(米国)が合併、世界最大化学企業が出現した。種子事業ではモンサントと匹敵する。アメリカの世界農業制覇の意志を感じさせる。一方ITのみならず農業でもアメリカの支配を恐れる中国は、2016年2月、中国化学によって世界最大農薬企業・シンジェンタ(スイス)を買収。続いてドイツは世界2位農薬企業・バイエルによってGMOの世界トップ企業・モンサントを買収、世界最大の種子企業(約30%支配)となった。その結果世界の約70%の種子市場がトップ6社(すべてGMO企業)によって独占支配されることになった。
貪欲なバイエル・モンサントは今、主食である小麦と稲のGMO種子だけでなく、有機F1種開発によって、拡大する有機種子市場にも介入しはじめた。彼らの戦略キーワードは、「GMO・オーガニック・AgTech」なのである。TPPや日米FTA交渉の背後にアグリビジネスの影が見えるようだ。
種子は、生命をはぐくむ神秘なまでのエネルギーの源泉。この種子の遺伝子に遺伝子銃が打ち込まれ、植物の遺伝子に微生物や動物の遺伝子が合体される。このような種の壁を超えた生命の改造に対して、自然はどのようなしっぺ返しをするのだろうか。巨大多国籍化学企業モンサントは、遺伝子組換えによって二代目からは発芽しないターミネーター種子を開発。この種子を使用すれば次の年は発芽しないため、種子の自家採種は完全に不可能になり、種子企業から買い続ける以外に道がなくなる。「知的所有権」の名のもとに、種子の独占支配が加速しているのだ。
種子は、遠い昔から大地と農民とのエネルギーと英知の賜物、民衆共有の財産であった。今再び、農民による種子の自家採種、種苗交換、種子銀行、在来種という言葉が、人々の間でささやかれ始めた。「種子を制する者が世界を制する」。それは誰か。農民か、それとも多国籍独占資本か。
人間の世界観や価値観、自然に対する人間の関係の在り方、人間の社会システムの在り方、物質的、知的所有の在り方を巡る革命の世紀に入ったようだ。
C)共同占有とは?
ヨーロッパで農村共同体に対する、土地の囲い込み運動が起こっていた17-18世紀に、イギリスの哲学者ジョン・ロックは、暴力的な血塗られた略奪的行為を合理化した。ロックは、財産とは自然資源に対して資本の管理に象徴される「精神的な」人間の労働を加えることによって創られ、資本だけが自然に価値を付け加えることが出来ると主張した。資本の所有者のみが自然を所有する権利を持つと。従って、共同体が保有してきた共有権・用益権は否定された。
従来、森や川や海は共同体の人々の共同占有でもあった。人間がそこから恵みをうけている自然は、人間が自然から借りているものにすぎず(占有)、利益を得ている(用益)ものにすぎなかった。だが、資本が自然に価値を付与するとの規定のもとでは、自然に対する共同体の占有や用益は否定されたのみならず、占有や用益を主張するひとびとは、資本による所有の自由を奪う者として、略奪者、妨害者として排除される。寺領の略奪や国有地の詐欺的譲渡、共同体の盗奪や残虐なテロをもって、それらは行なわれた。
封建的諸関係の解体と同時に、大工業の固有の産物である労働者階級の形成史が始まった。農村共同体を破壊された農民は、都市に移動し労働力とならざるをえなかった。大地は、土地所有者によって私有された。あらゆるものを商品化し、貨幣化し、資本化しようとする資本制システムが一旦確立すれぱ、自然と大地に対する私的所有や国家的所有は当然のこととして人々に受け入れられ、共同占有は特殊なものとみなされる。
だが、人間が将来築くであろう高度な社会経済システムの見地から見れば、自然-大地は人間の所有物でなく共同占有物であり、人間は大地の恵みの受益者にすぎない。そこでは人間と人間との社会的諸関係は、商品、貨幣、資本という資本家的システムから解き放たれ、人間と人間との直接的な社会的協同の関係が形成されるが、その直接的社会的協同の関係は、大地に対する人間の資本家的観念、私的所有観を払拭し共同的占有観への移行を不可欠の条件にするだろう。
資本主義社会の成果としての『協業と土地の共同占有と労働そのものによって生産される生産手段の共同占有』を基礎とするような生産者たちの『自由な連合』こそが、『自由な労働』と『自由な享受一取得』が、高度な社会経済システムにおいて実現されることを通じて、資本制によって一旦は生産者から完全に分離させられていた大地を、再び生産者達の『肉体のいわば廷長』に新しく転化させるのである。社会は人間と自然との物質・エネルギー循環を回復する。
D)種子は誰のものか?
資本主義社会以前には、種子は農民達によって自家採種され地域内で交換されていた。現在でも、門外不出の種子が各地にあると聞く。共通の風土をもつ地域に合った種子は、その地域の共有財産なのである。日本では、1960年まで農村では有機農業、自給自足が中心で市場経済はサブシステムであった。従って、種子に関しても自家採種が一股的であった。だが、1960年代の資本主義の急速な工業化、大都市への農村からの急速な人工集中に伴う人口の逆転現象は、膨犬な都市住民の食料を、減少する農民が供給することを強要した。国家によって農業の近代化がうたわれた。農機具メー力一、農薬メー力一、化学肥科メー力一、種苗メーカーは農村に入り込んだ。農協もそれらと競合した。農業生産性向上運動は農村労働力の減少とリンクしていった。
農産物の増産に合致した工業化農業とともに、種子のF1化・ハイブリッド種が農家によっても採用されていった。在来種に比べて、農薬、化学肥料、水の吸収率がよく、従って大量生産に向いているF1種の全盛時代が訪れた。ところが、F1種は、第2代目には種の特性によって、不ぞろいな作物が出来るため、商品作物としては適切ではない。従って、商品作物をつくろうとすれば、農民は毎年種苗会社からF1種子を買わなければならない。企業による種子独占である。大量消貫システムに対応した大量生産システムは農産物の単作化を促進した。一面のキャベツ畑、大根畑、かぼちゃ畑が登場した。多品種少量生産、有畜複合、自家採種は完全に後方においやられた。農薬、化学肥料、水の大量投入とF1種子のサイクルは完成した。1970年代であった。
世界が工業化農業に変貌した結果、何が起こったのか?
a) エネルギーの大量投入による食料増産体制。特に工業諸国では、農業の工業化によって増産体制を確立したが、それは同時にエネルギー効率の低下を結果した。
b) 地球環境破型農業化。土壌、水質、大気汚染と生物多様陛の破壕。
c) モノカルチャー=輸出作物生産による貧富の格差の増大。特に、アフリカでの飢餓
d) 米国の食糧国家戦化による第三世界諸国の食料輸入国化。
e) 農産物大量生産による工業諸国での食糧の質的悪化。農産物と人間生命力の低下。
f) 1980年代中頃以降、化学肥料の効力減退の健在化。農薬とワンセットで使用されてきた化学肥料は、強酸塩の土壌残留によるミネラルバランスの劣化および土壌小動物、微生物の死をもたらし、植物の成長を不自然にする。
g) 水、農薬、化学肥料の大量投入による表土の流出と砂漠化。
h)そして遺伝子組み換え(GMO)とその延長であるゲノム編集技術。
「夢の物質」フロンがオゾン層破壊の元凶であることが、発明40年後に判明し「悪魔の物質」に変わったように、「永遠のエネルギー源」プルトニュームが原発事故の恐怖を人々に突きつけているように、「夢の化学物質」プラスティックが解決不能のごみ問題を世界に引き起こしているように、自然界に存在せず、自然界に帰ることのない物質を創製することは、地球生態系と人類の未来の世代に取り返しのつかないことを結果するのではないだろうか。遺伝子組み換えやゲノム編集技術、AIによる人工生物の創成は、そうしたレベルの問題である。人間は人間の暴走を制御できるか?
遺伝子組替え植物は、植物のDNAに微生物や動物のDNAを組入れたりして、種の壁を越えて人工生物を「創造する」ことにその本質がある。1988年のトリプトファン事件で証明されたように、副産物の毒性によって38人が死に、1500名がその後遣症に苦しむといったような事態が、今後起こったとしても不思議ではない。意味がないはずのいわゆる「ジャンクDNA」の多くが、400万の遺伝子スイッチを制御していたことがわかったというのだ。このスイッチは、遺伝子が何時活動を開始して何時停止し、どの蛋白をどれほど作るかを決めているといわれる。それらがDNA組替えや切断に刺激されてどのような働きをするのだろうか。
多国籍アグリビジネスは、新品種の育成者権という知的所有権を認める植物の新品種の保護に関する国際条約に依拠する。2016年現在締約国は74か国。日本は1991年改正条約を締結した。これに対して、種子は人類の共有財産であり、農民の権利であるとする食糧・農業植物遺伝資源条約が2001年FAOで採決され、129カ国が署名、日本も2013年に署名した。世界の農民の大多数は家族農業であり、農家の自家採種権は、無条件で認められるべきであり、生命に特許権(知的所有権)を認めることは根本的に間違っている。食糧を生産する農民の自立のために。
E)公有地と民衆の種のための闘い
遺伝子組換え種子であるモンサントのラウンドアップレディー大豆と除草剤ラウンドアップのセット採用を農民が契約すれば、その契約には、1)特許料の支払い、2)3年間モンサントによる畑の監視、3)農民の訴訟権放棄、4)種子の自家採種禁止が含まれる。従って、モンサントの遺伝子組換え種子とラウンドアップ除草剤を買い続けなければならなくなる。「バイオ農奴制」といわれるシステムである。
貪欲で卑劣、冷酷で倫理のかけらもないモンサントと英雄的に闘っているカナダのシュマイザー夫妻、遺伝子組み換え作物引っこ抜き闘争をリードしたフランスの農民・ジョゼ・ボヴェ、茨城県で遺伝子組換え大豆鋤きこみ闘争を行った人達は、私達に勇気と希望を与えつづけてくれている。
インドのフェミニストで、エコロジストでもあるバンダナ・シーヴァのエネルギッシュで知的で魂を揺り動かすスピーチは、インド農民の種子と共有地のための、多国籍アグリビジネスに対抗する闘いの前線からの叫びであり、知的メッセージなのだ。生命の多様性と精神の多様性は彼女のメッセージの根底にある。そしてその実際的政策が種子と共有地の防衛と拡大である。
バンダナ・シーバは一方で、「バイオテクノロジーの民営化の究極的表現は米国通商代表部、世界銀行、GATT、世界知的所有権機関・WIPOを通じて活動している多国籍企業が、地球上の全ての生命を企業が私有財産として所有することを可能にする統一的な特許制度の策定を必死に要求しているということである。」「世界規模の特許保護によって、アグリビジネスと種子業界は、真の地球支配を達成しようとしているのである。」(「生物多様性の危機」)と多国籍企業の野望を正面から指弾する。
そして他方で「そうして数々の改良が、何度も何度も共有の知識として蓄積されたのである。この知識の蓄積が、今日の農業植物の多様性や医薬植物の多様性に、幅広く計り知れない貢献をしているのだ。それ故、資源や知識を個人が『所有する』という権利概念は、土着のコミュニティーにはなじまないのである。この『所有』の権利概念が、生物多様性の保謹に非常に重大な結果を引き起こしつつ、土着の人々の知識の障害になることは疑いない。」(『共有地の囲い込み』1997年バンダナ・シーバ)と種子の私的所有を批判し、種子の民衆による共同占有を主張する。
F)新しいコミュニティーの創造と種子の共同占有
1) 現在の日本では、インドのような土着のコミュニティーは、ほぼ形骸化している。また、種子の自家採種率は米の30%を除けば、5%以下であろう。だが、直面している問題やめざすべき課題は、インドと共通していると思われる。その課題の第一は、個人的所有を基礎にしながらも共同占有一用役権を共通の課題とする、新たなコミュニティーの創造である。第二の課題は、巨大企業の種子独占に対抗する種子の地域コミュニティーでの共同占有・種子の公共化である。
2)コミュニティー問題
人々の創造的コミニニケーション空間を媒介にしたシステムの創発が「現在の共有地」の様相を見せ始めている。そこには、産消提携の農村一都市グループ、若者達の半農半Xライフスタイル、生産協同組合、消費共同組合、NP0,ワーカーズ・コレクティブ、インターネットの「協同編集空間」などのアソシエーションが含まれるはずである。「置賜自給圏構想」など地域循環型の新たなコミュニティー創成の動きが、グローバルな資本の権力に対抗してさまざま形で全国で自生してきている。
3)種子の問題
農業の工業化と大量消費に対応した種子がF1種であった。知らず知らずの内にF1種は種子の90%以上を占領してしまった結果が、種子企業と国家による種子の独占支配である。現在、農民の自家採種は、自給自足用や地場の特産品、あるいわ、産消提携の有機農家で行なわれているにすぎない。実際、農産物の生産、流通、消費の特殊性に、種子の特殊性は規定される。従って、F1種と種子の企業や国家独占から脱出するためには、自給自足を除けば、生産者と消費者が共に、独自の流通一消費ルートを形成することが不可欠となる。
自家採種されたり、種苗交換された在来種や有機農業用に改良された種子から生産された農産物を購入する独自のルートを形成・拡大することが要である。生命の多様性とバイタリティーの価値をメッセージとして運んでいく米や野菜のルートを無数につくっていくことが大切である。遺伝子組換え作物の大豆、トウモロコシ、菜種、じゃがいも、お菓子や加工品などが、国境を越えて知らぬ間に食卓に並び、コンビニやスーパーでジャンクフードが幅をきかせている今、ジャンクフードに対抗する、文化発信型、価値創造型、参加型の産消提携型のネットワークが形成される条件は、逆に広がり、深まっているようだ。
4)種子の保存方法には、三つの形態がある。第一は、「ジーンバンク」。国家プロジェクトとして、遣伝子の国家管理政策としてつくられているもので、世界中から遺伝子を収奪している。第二は、「フィールドバンク」といわれるものでの、種子採種する目的でのみ作物を栽培している。種苗会杜や地方の農業試験所に該当するところがある。第三は、「伝承バンク」とでもいわれるもので、昔から農家が田畑で、営々と在来種の自家採取を続けてきた形態である。現在では、F1種から固定種を形成する方法もふくまれる。我々が民衆の種の保存という場合、在来種や非GMO種子採種の圃場を持つ種苗会杜や地方の農業試験所、特に自家採種を続ける農家が基本となるだろう。
遺伝子組み換えの大豆や稲に対して僕達が進めるような在来種を守り普及する大豆畑トラストや水田トラスト運動と共に、生協や有機農産物専門機構が農家と共同で在来種の農産物の流通・消費の流れを意識的に作ることによって、在来種の生産の持続的システムを作ってほしいものだ。
京野菜のように独自の生産・流通・消費の循環が持続されることで在来種を守ることもできる。
それだけではなく、現在、在来種が危機状況にあるとき、アメリカのシード・セイヴァーズ・エクスチェインジやオーストラリアのシード・セーヴァーズ・アソシエーションのように、非営利組織・NPOが、種子採種、種子保管、種子交換、情報提供をすることによって、在来種の伝承を補完し、多国籍企業の種子支配に対抗しなければならない時代に入っている。
人類の共有財産である種子を守り、育て、未来の世代に継承するために。
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