2011年9月30日金曜日

【原発】福島県相馬市「原発さえなければ」自殺男性 壁に心の叫び

たんぽぽ舎【TMM:No1200】より抜粋

福島県相馬市「原発さえなければ」自殺男性 壁に心の叫び
酪農家 悲劇の語り部 講演に奔走「風化させぬ」
東電・国への怒り代弁


○東日本大震災の発生から三カ月後の六月十一日、福島県相馬市で五十代の男性酪農家が自ら命を絶っているのが発見された。≪原発さえなければと思ます≫(原文ママ)。借金して建てて間もない堆肥舎のベニヤ板の壁には、悲痛な叫びがチョークで書き付けられていた。今も、原発事故の放射能汚染禍と風評被害などに苦しむ酪農仲間は、何を思うのか。(中略)

○東京電力福島第一原発から約五十キロ、相馬市の山深い集落で、約三十頭の乳牛を育てていたAさん。六月十四日に営まれた葬儀には、隣の伊達市や飯館村など市内外の同業者が大勢駆けつけた。フィリピン人の妻、小学生と幼稚園児の息子二人の打ちひしがれた姿が参列者の涙を誘った。(中略)十年以上の付き合いという伊達市の酪農家、菅野伸一さん(五二)がAさんと最後に話したのは、同月九日。牧草の刈り入れを手伝ってもらうことになっていた。「朝、電話してきて『いろいろあって行けなくなった』と言うんだ。その時はふだんの彼のような気がしたんだけども」堆肥舎で首をつっているAさんが発見されたのは、その翌々日の十一日。壁には≪2011 6/10≫の記述とともに、こんなメッセージが残されていた。≪原発さえなければ≫(中略)「原発のせいで、何もかもおかしくなった。原発さえなければ、家族そろった人並みの生活がおらにだってできたんだ」「この先どうなるのか、酪農家はみな不安感にさいなまれている」。相馬市で家族と牧場を経営する女性はやり切れない思いを語る。「彼は何も悪くなかった。原発さえなければ、と思っているのは彼だけじゃない」

○「自分の村のことで精いっぱいで、彼の相談に乗ってやれなかった。今も悔やんでいる」(中略)プロジェクターを使って壁に投影されていた画像は、Aさんの書き残したメッセージだった。長谷川さんもAさんの仲間だった。(中略)「自分たちの体験を広く知ってもらうべきではないかとぼんやり考えていたが、迷いもあった。彼の死によって、決意が固まった。メッセージは一連の出来事を伝えてくれという彼の願いだと受け止めた」≪残った酪農家は原発に負けないで頑張てください≫≪仕事をする気力をなくしました≫とAさんが堆肥舎の壁に残したメッセージを読み上げる。(中略)Aさんはじめ酪農家の代表として、生の声で体験を語り続けることが今の自分に課せられた使命だと考えている。「飯館村は75%が山で、除染は簡単ではない。正直、戻るのは難しいと思う」と長谷川さんは唇をかむ。「風化するのを待っている人たちもいるだろう。でもそうはさせない。とんでもない事故が起きて福島県民が悲惨な目に遭ったことを忘れてもらうわけにはいかない。そのためなら、しばらく無職でいいんです」


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