2011年2月25日
池住義憲
池住義憲
■いま何が起こっているか
昨年(2010年)から今年にかけて、よく耳にする言葉があります。「ティー・ピー・ピー」(TPP、Trans-Pacific Partnershipの略)です。「環太平洋パートナーシップ協定」と呼ばれているものです。
2006年にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国で発効させた経済連携協定がその元でした。その後、米国、中国、オーストラリア、韓国など数カ国が参加を表明し、現在は米国が主導して今年11月ハワイで開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)までに合意を得る方向で動いています。日本も「バスに乗り遅れるな」とばかりに飛びついて、昨年から今年6月にかけて大騒ぎ状態です。
TPPは、簡単に言えば米などの農産品も含めすべての品目の関税を例外なく撤廃しようというものです。一体、どういうことでしょうか。何がどう変わっていくのでしょうか。地域経済の崩壊、国内農業や酪農への大打撃、自給率の更なる低下、食の安全への脅威増大など多くの懸念が指摘されています。
それからもう一つ。依然として続く金融危機の問題です。2008年米国発のサブプライムローン問題に端を発して、世界全体が金融危機に直面しています。経営危機、経営破綻、倒産、解雇、大量失業、不況、国内および各国間での格差拡大など。米国がクシャミすれば世界が風邪をひく。そんな現象が続いています。
実態経済とは別のところで巨額な投機マネーが瞬時に世界を駆け巡っています。それが株価や為替相場に影響を与え、各国経済に悪影響を及ぼしています。世界経済は、今や巨大なカジノの賭博場(カジノ資本主義)と化しているようです。巨額投機マネーの瞬時流入・流出は、国際的な食料価格の高騰など人々の生活といのちを直撃しています。
こうした動きを、「経済のグローバリゼーション」といいます。では、グローバリゼーションとは何か、歴史的に何処からきたのか、近年のグローバリゼーションにはどのような特徴があるのか、ではどうしたらいいのかなど、「人権」の視点から読み解いてみましょう。
■グローバリゼーションとは…
簡単にいうと、モノ(商品)、カネ(金融・投資)、ヒト(労働者)、情報・技術・サービスが国境を越えて地球規模で自由に行き来することです。国際的な移動の量的拡大、市場経済の世界的な拡大です。
地球規模での自由な行き来をより可能にするため、国際的な移動を制限する関税や輸入禁止、輸出入制限などの障壁を取り除きます。各国をすべて均等に、“自由”にするのです。市場経済は万能と信じて、市場経済にすべてを委ねるのです。
このようにグローバリゼーションとは、自由市場経済へと変えていく動きのことです。国の管理・介入をやめ、可能な限り民営化していくのです。例えて言うならば、「カール・ルイスと幼稚園児の100m走!」のようなものです。スタートラインでの差は、ない。すべて“等しい”条件で競争する。どちらが勝つかは、明らか。
そう、弱肉強食、優勝劣敗の世界です。こうしたルールは、強者の公正・平等観、強者の視点に基づいて設定されます。この点からグローバリゼーションは、米国等の一部先進国を除いた他のあらゆる国を弱体化させる動き、と解釈することもできます。
■グローバリゼーションは何処からきたか
今日のグローバリゼーションは、1929年の大恐慌とそれに続く1930年代の大不況に端を発します。当時、各国は一斉に自国経済を守るため、関税の引き上げや規制強化など、保護貿易政策をとりました。日本やドイツなど資源の乏しい国は、他国侵略を目論んで軍拡化、全体主義化していきました。
米国・イギリス・フランスも同様に国内生産の保護貿易政策をとります。列強諸国は、当時の植民地を抱え込んだブロック経済体制を敷くようになりました。こうした動きが第二次世界大戦を引き起こす大きな要因となったのです。
大戦終結1年前の1944年7月、連合国首脳は米・ニューハンプシャー州ブレントンウッズに集まります。そこで戦後の世界経済体制を議論するため、連合国通貨金融会議を開催しました。連合国は、通貨と金融安定のために「国際通貨基金(IMF)」を設立。米ドルを基軸通貨とし、固定相場制で戦後の通貨金融体制を決めました。同時に、貿易の振興と発展途上国の復興と経済発展のために、「国際復興開発銀行」(IBRD、通称:世界銀行)を設立。
この二つの国際機関を軸として国際貿易の自由化と経済成長を目指す国際通貨・金融・貿易システムが、「ブレトンウッズ体制(IMF体制)」と呼ばれたものです。数年後には、関税や輸出入制限などの障壁を撤廃して貿易を自由化するため、ブレトンウッズ体制の枠組みとして「関税と貿易に関する一般協定(GATT)」が締結されました。以後、長きにわたって、関税の引き下げなど貿易の自由化を進めました。世界は保護貿易から自由貿易へと方向を変えたのです。
■ブレトンウッズ体制からWTO体制へ
ブレトンウッズ体制は、1971年のニクソンショックを機に崩壊します。米国経済がヴェトナム戦争などで財政赤字拡大となり、大幅な貿易赤字が膨らみました。ニクソン大統領は、それまでの金とドルとの交換を前提とした固定為替相場制(ブレントンウッズ通貨体制)から変動為替相場制に移行することを宣言。自国通貨のドルを防衛するためでした。そして1973年以降、世界経済は市場にすべてを委ねる自由市場経済へと突き進んでいきます。
世界的規模の自由市場経済化の動きは、1995年、GATTを引き継ぐ形で誕生した「世界貿易機関」(WTO)によって促進されます。GATTは工業製品や農産物等が対象だったが、WTOではそれに加えてサービス分野や金融・通信・知的所有権・安全基準などほぼあらゆる分野を対象としました。ねらいはただ一点。そう、世界貿易を完全自由化することです。そのため、あらゆる分野、あらゆる活動に競争原理を適用しました。これが今日のグローバリゼーションに至る経緯です。
■グローバリゼーション、近年の特徴
近年におけるグローバリゼーションの特徴のひとつは、生産拠点を海外に移転する動きです。アウトソーシングまたは外部委託といいます。国際競争が激しくなる中で、企業は生産拠点(工場)をコストの安い国外に移します。同時に、企業およびその関連金融機関は、工場移転先国の製造会社株や資産を所有します。IT技術をつかった様々な金融派生商品(デリバティブ)も使います。このようにして工場移転先国の製造業に支配力を及ぼし、売上をみずからの利益にすることを目論むのです。こうして、国際的な所有関係、従属関係が構築されていくのです。
近年、企業は社会貢献や国際貢献(フィランソロピィーおよびCSR)を重視する姿勢を示しています。しかし基本的に企業がよって立っている第一義的原則は、当然のことながら利益・利潤確保優先です。そのため、対費用効果(効率主義)を最重視します。
「低コスト高価格!」(Low Cost, High Price!)、「人間よりも利益を!」(Profits
than People!)というわけです。製薬会社でいえば、「患者でなく薬の特許を!」(Patent!
Not Patient!)となります。。「経済のための人々」(People for the Economy)か「人々のための経済」(Economy for the People)か、が問われています。
■価値観の世界同質化という問題
もうひとつ、重要なことがあります。それは、文化的「価値観」についてです。たとえばマクドナルド社やトヨタ社などの巨大企業は、生産と販売の両面で世界各国にアウトソーシングしています。それにより、食文化やカーライフなど人々の生活や価値観に影響を及ぼします。これを「マクドナリゼーション」(McDonalization)または「トヨタナイゼーション」(TOYOTAnization)などと呼ぶ人がいます。
もちろん、プラスの面もあります。便利さや安価、効率の良さ、多文化食品の享受などです。しかし、人権の視点から、マイナスの面をより注視する必要があります。特定の単一製品・システムは、特定の制度・価値観・文化を「優れたもの」と位置づけ、それまで蓄積してきた地域固有の「優れた」伝統・文化・価値観を否定し、崩壊させてしまうことが起こります。世界の共通化・同一化現象、または世界の同質化現象です。強者・強国が持っている基準や文化・価値観が、グローバル・スタンダードとなってしまうのです。
■グローバリゼーションと戦争
戦争は、石油産業、軍需産業、IT産業、武器産業など多産業が複合的に絡み合い、組み合わさっています。戦争は、最大の消費、最大の経済需要を産み出します。戦争の目的は、資源、市場、支配、この三つの確保と拡大が狙いです。戦争は、グローバリゼーションと密接に連動して“進展”しています。いや、戦争こそグローバリゼーションをうまく利用し、その恩恵を受けていると言うこともできます。
グローバリゼーションは経済分野だけにとどまりません。政治軍事分野でも起きています。“911事件”(2001年9月)以降、ブッシュ米大統領が世界に発信した“対テロ戦争”価値観がそれです。今や世界はこの価値観・世界観が標準(スタンダード)となって動いています。「テロリスト側につくか、我々の側につくか」という単純な二元論である価値観・世界観で世界を二分し、“対テロ戦争(アフガン戦争、イラク戦争)”は正義の戦争との世界共通化、世界同質化を目論んでいます。
■「民営化」していく戦争
軍事拠点をアウトソーシングし、可能な限り、戦争の民営化をすすめるのです。傭兵派遣専門である米国のブラックウォーター社は、約25,000~48,000人の民間軍事会社関係者をイラクに派遣・駐在させていました。ほかにも、ハリバートン社、べクテル社、カーライル・グループなどがあります。これらはいずれもブッシュ政権と強い繋がりを持つ米国の巨大企業です。
彼らは、本来米軍自身がやっていた戦地での兵舎建設、兵士への食事供給などを委託されて行いました。米大使館職員やイラク政府高官を警護するだけでなく、米軍の軍事作戦にも参加します。正規の軍人ではないので戦死者数には数えられていません。イラク戦争は、歴史上、最も「民営化」された戦争だと言うことができます。
グローバリゼーションの柱である自由市場主義政策は、イラク戦争に大々的に導入されました。2003年5月~2004年6月の間、米軍主導のイラク暫定行政当局(CPA)が発した命令を見ればよくわかります。そこには、関税・輸入税・ライセンス料などの撤廃、外国企業のイラク国内法の適用除外、イラク国有企業200社を民営化、外資のイラク企業100%所有承認、外国企業の得た利潤を100%国外送金可、銀行に外資50%参入可、外国企業に40年間の営業権を与える、など枚挙にいとまがありません。
■グローバリゼーションへの対抗軸としての「平和的生存権」
グローバリゼーションへの対抗軸は何か。私は、「平和的生存権」だと思います。憲法前文に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と書かれてあります。
日本は、全世界の人びと(All peoples of the world)が「平和のうちに生存する権利」(The Right to live in peace)を持っている、と世界に宣言しているのです。世界
の人間安全保障(Human Security)の潮流を先取りした先駆的な規定です。
「恐怖」とは、戦争や国家権力による弾圧などの「直接的暴力」のこと。「欠乏」は、貧富の差、貧困、経済政策による失業、保健・医療・福祉政策の不備による疾病と生活状況悪化、政治的抑圧や文化的疎外など、社会や世界の構造そのものが作り出す「構造的暴力」のことです。いずれも人為的行為です。人間が作ったものだから、人間の力で、人間の判断で、回避・除去できるものです。
憲法が目指している「平和主義」は、こうした戦争、弾圧、貧困、差別、飢餓などの直接的および構造的問題を解決するのに、非暴力、非軍事、徹底した平和外交で貢献する、ということです。自国のみならず、全世界の人びとが「平和のうちに生きる」ことができるようにするために、です。そうすることよってはじめて信頼を得ることができるのです。そうした貢献が、他国から攻められない国をつくることにもなります。軍隊(自衛隊)など、必要ありません。持たなくていい。日本国憲法は、そういう国を目指しているのです。
■名古屋高裁イラク派兵違憲判決と「平和的生存権」
「平和的生存権」は、これまで抽象的概念であって具体的な権利ではない、とされてきました。しかし状況は変わりました。2008年4月17日に。この日名古屋高等裁判所は、自衛隊イラク派兵差止訴訟で画期的な判決を出しました。イラクに派兵された航空自衛隊の輸送活動のうち、少なくとも2006年7月以降に米軍兵等多国籍軍兵員を輸送していることは武力の行使にあたり、憲法9条1項違反!との判決を出したのです。
もう一つ、画期的な内容があります。それが「平和的生存権」に関する部分です。名古屋高裁は、「平和的生存権」を具体的な権利、しかもすべての基本的人権の基礎となる基底的権利だ!と認定したのです。平和でなければ、憲法第三章に記されている基本的人権は存立し得ない。平和でなければ、基本的人権、諸権利、自由は、制限・制約・否定される。平和でなくなれば、個人の尊重と幸福追求権、思想と良心の自由、信教の自由、集会・結社・表現の自由、学問の自由、生存権、教育を受ける権利、団結権、裁判を受ける権利などは、制限・否定され得る。こうしたことは、過去の歴史が如実にそれを示しています。
「平和的生存権」の内容についても、判決は踏み込んだ見解を示しました。判決は、平和的生存権を「極めて多様で幅の広い権利である」としたのです。「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」、「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」、「他国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく、自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利」、「信仰に基づいて平和を希求し、すべての人の幸福を追求し、そのために非戦・非暴力・平和主義に立って生きる権利」なども含まれる、としたのです。
そして、たとえば国が武力の行使や戦争の準備行為など憲法9条違反行為によって、私たちの生命や自由が侵害されたりその危機にさらされたりする場合、私たちは裁判所に対して保護と救済を求め、違憲行為の差止と損害賠償を請求することが「できる場合がある」としました。画期的な判決です。
■では、どうしたらいいか
方向は明らかです。全世界の人びとが、等しく「欠乏」から免れるようにするよう、そのためのルールを作ることです。それには次の四つの原則が大切です。1)くらしといのちに関わる重要事項の決定は、地域住民が主体者として参加すること、2)民族・文化の多様性を尊重すること、3)生物・環境の多様性を確保すること、4)地域経済・各国経済の多様性を優先させること、です。こうした原則に立って、必要な国際貿易システムのルールや規制(Regulation)を設定するのです。
戦争が起こっていれば、いのちの保障(生存権)をはじめ基本的権利や基本的人権が狭められます。侵害・否定されてしまいます。だから、戦争をやめさせるのです。戦争による「恐怖」を取り除くのです。そのために、9条を持つ私たち日本の国は、徹底して非暴力・非軍事の平和外交を行うのです。軍事(防衛費)に投入している巨額なおカネを、民生と国際復興・開発協力にまわすのです。多文化間交流や平和教育活動にまわすのです。そうすることによって、世界中の人びとが、「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」ことが可能になるのです。
■これからの人権教育
憲法前文にある「平和的生存権」、9条の「戦争放棄」、25条の「基本的生存権」。この三つを基盤・視点としてグローバリゼーションを捉え直してみるのです。これら三つは、今後の日本の平和教育、人権教育、開発教育で欠かせない基点です。
ブラジルの教育思想家パウロ・フレイレ(1921~1997年)は、教育を次のように定義しています。『教育とは、未完成な人間が未完成な世界に批判的に介在し、世界を変革することを通して自らを変革(解放)し続ける終わりのない過程である』。
世界はいつも多くの問題を抱えています。いつも未完成、不完全です。だからこそ、私たち(私たちもまたいつも未完成・不完全な存在)が、その未完成な世界に「批判的に」向き合う必要があるのです。批判的に世界にかかわって介在する必要があるのです。
フレイレが言うように、世界の仕組みを変えることによって、自らが戦争による「恐怖」や貧困等による「欠乏」から解放する取り組みを行なう。フレイレは、これは人間が人間であることを取り戻すこと(人間化)だと言う。そして、その過程が教育だ、と言います。
もう一人紹介します。フレイレの教育思想を演劇(民衆演劇)の場で実践している民衆芸術運動家アウグスト・ボアール(1931~2009年)です。ボアールは、「世界が変革されなければならないということを知っているだけでは十分ではない。重要なことは、それを実際に変革することだ」と述べています。
フレイレとボアール二人の言葉は、教育とは何か、教育とは何のためか、を鋭く突いています。先に見たように、グローバリゼーションが人びとのくらしといのちを直撃している。自由化・民営化・規制緩和で競争が激化し、国際間および国内での格差がとてつもなく広がっている。グローバリゼーションのもとで軍事と産業が結合し、戦争(米国主導による“対テロ戦争”)が巨大な経済活動として世界に君臨している。そられによって世界で多くの人びとのくらしといのちが、奪われ続けている…。
こうした現況のなかで、これからの教育をどうするか。どう考えるか。私は、まずは徹底して現実に向き合うことから始めることだと思う。「コンテキスト(Context)にまさるテキスト(Text)はない」という言葉があります。徹底して、現実に起こっていること、その脈絡・現実(Context)に向き合う。しかも、批判的(Critical)に。
脈絡・現実(Context)そのものが教材(Text)となるのです。現実に向き合う時、何処に立って見るか、が重要です。そう、グローバリゼーションによって社会的・経済的・文化的に弱い立場に押しやられた人びと(民衆)の立場に立つのです。何処に立つか、誰の側に立つかによって、見えてくる事実・内容が全く異なる。さて、これから私は、どうするか。あなたは、どうしますか?
以上
*本稿は鳥取市人権センター機関誌『架橋』(2011年3月発行)に掲載予定で、いままでの書き物をまとめてアップデートし、先月(1月)下旬になるべく分かり易く書いたものです。6,500字です。
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