2008年7月11日金曜日

バタ子が来た

田中正治

彼女(川端さん=通称バタ子)は、元A・SEED・JAPANで会員。「かみえちご山里ファンクラブ」で、最近まで専従スタッフをしていた。

「かみえちご山里ファンクラブ」は、新潟県上越の山里にあるNPOで、都会から9人の若者が山村に移住し、山村の住民と一緒になってNPOを立ち上げた。

その若者達はほとんど就職氷河期の企業への幻想を吹っ切った世代で、いわゆる団塊ジュニアだ。

「この地域の自然、景観、文化、及び地域の農林水産業を「守る、深める、創造する」ことで、豊かな地域文化を育み、地域資源を生かした様々な活動」を行っている。

いろんなプロジェクトを立ち上げている。水田オーナー制、夏のふるさと探検、さんぞくライフ、きのこ三昧、夢に出てくる盆踊り、ワラ細工、かんじき作り、ウサギ捕り、雪掘りなどの実習、稲刈り・ハサがけ、そば打ち、炭出し、カモさばき・調理、秋祭参加、塩作り、マムシ捕り、沢登り、盆踊り、製材作業、夏野菜収穫、草刈、海魚釣り・調理・・・・。

地元のじいちゃんばあちゃんも協力して、消え行く伝統技術を、最後の世代から若者が継承し、現代に創造的に復元しようというわけだ。

情報化社会・サービス産業社会の中では、生活に実際必要とする確かな技術を自分が作る、という機会はほとんどないのだろう。だから、確かな手ごたえのある、実体のある、実際生活に直接必要なモノを自分で作りたいという欲求が高まるのもうなずける。自分の確かな存在を実感したいのだろうか。

1950年代、高度経済成長期以前の山村の生活は、確かに生活に直接必要なものを自分の手で作るほかなかった。お金は村落共同体の物質循環の補助手段に過ぎなかったから、そうするほかなかったのだろう。

食料高騰・資源高等で物価がうなぎのぼりになるが、賃金や稼ぎが全くそれに追いつかない昨今の格差社会では、サバイバルの為の技術、それもエコ的でオルタナティブな技術が求められている。

農山村に住んでみると、1950年代以前の生活技術が、現在のサバイバルでオルタナティブ技術として実生活の中で復活してくる。洗練された感覚で。
プロパン代高騰に対して、効率の良いまきストーブで煮炊きをするなど。

確かな生活、食糧危機・資源危機を乗り越えて行く生産技術が魅力を増しているようだ。密かなサバイバルムーブメントに注目したい。

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