2015年4月6日月曜日

【あべふみこのあっちこち】里山に暮す

阿部文子

★小さなもの達の災難

 私の寝ている布団の中にもぐりこんでくるチビタンと与佐。11月の中旬朝5時半寒い朝。
ごく最近まで、我が家には3匹の猫がのびのびと暮らしていた。

2013年9月23日の夜遅く大五郎は一晩中苦しがり、毒を吐き出すことも出来ずなくなった。ぐったりとなった大五郎をTシャツにくるみ、抱いて声を立てずに泣いた。
この喪失感。紅葉の木下に埋めた。「大五郎ここに眠る。2013年9月24日朝6時。5年間一緒、家族の一員だったね。ありがとう大五。愛していた」これが大五朗の墓標である。


大五郎と与佐が我が家に来たのは5年前。捨てられた子猫を拾ってそだてている館山のグループから我が家へ来た。約10cmのかぼそい体。動くこともままならず、母のお乳を求めて、2匹がお互いのおなかを吸い合い、ミルクをスポイドで飲ませて大きくなった。
与佐はおっとりした性格でお兄ちゃん格、やんちゃな大五郎は弟分。でも、仲良しいつも一緒にいた。

2013年3月のある日、真っ黒な塊が彼らの餌場にいる。10cm位の丸々とした体。人の気配がするとすばやく消える。なんだろう?と思っていると、段々と餌場に居直っている。全身真っ黒の子猫だ。これまで親と一緒にいたが「いつまでも親と一緒じゃないでしょう。一人で生きていきなさい」と親に去られたのか、段々と台所の中に入り込んできて、この頃では「ここは私の家よ」といわんばかりに走り廻っている。

目はまん丸で、ひげは短く、鼻の形も愛らしく、なかなかの器量よし。女の子だ。チビタン・ハナコと命名。食欲も旺盛。3つのさらに取り分けた食事を、自分の分にもお兄ちゃんの分にも口をつけている。

夏のある夜、前の道路で猫がギャーギャーと騒いでいる。いつまでも鳴きわめいているので追っ払いにいった。何と与佐と大五郎ではないか。こんなことは今までになかった。チビタン・ハナコをめぐってあらそっているのか。その後チビタン・ハナコは、与佐にいつもくっついている。大五郎はさびしそうに一人でいる。

ハナコも早めに避妊手術をしないと危ない。信頼する原島獣医に連れて行ったらあいにくとお休み。一晩預けることにした。置いていかれる時、今まで聴いたこともない悲しげな声を上げている。「大丈夫よ、明日迎えに来るからね」。次の日原島さんの所に行くと、「ハナコは男の子でした」。「エーッ」。



★里山の危険

 ものいえぬものたちにとって里山は、住みやすそうに見えるがそうではない。危険が一杯なのだ。田んぼは農薬で毒水となっている。うっかりすると、猪の毒えさにもぶつかってしまう。これはだまされて体の大きい猪が食べてしまうほどの見せかけの食餌。

クロ(愛犬)も危険な目にあった。散歩のときくらいは鎖を解いてやりたいので放す。樹木のある山すそに走りこんだり、土手を回り道したり。その生き生きとしたうれしそうな様子に、私たちも満足していた。しかし、それがいけなかった。

散歩から帰ってしばらくすると、どうも様子がおかしい。すぐに原島獣医に連れて行った。壁に寄りかかり立っていることも出来ない。「猪の毒餌を食べたら助からない」と聞いていた。一晩と待って様子を見てもらうことにし、次の日逢いにいった。歩くのがやっと。これがあの元気なクロか、と思うほどに老け込んで鳴くことも出来ない。

助かったのは奇跡だった。「ドッグフードを2・3年食べさせているとガンになる」という良心的な獣医である原島さんの話を聴き、火を通した玄米、煮干、くず肉を常食としてきた。そのためか毒を飲み込んだ時、吐き出していたのだ。それで助かったのだった。

街の犬は買われて室内で過ごす。里山の犬は捨てられ、拾われて、それでものびのびと過ごす。だけど危険が一杯だ。
彼らにとって危険なところは、我々人間にとっても危険なのではないだろうか。


自然の崩壊が身近に感じられる

川のほとりの竹やぶで、夕方になると雀が群れを成して鳴き遊んでいた。餌を食べていたのだろうか。それが近頃見られない。電線に群れをなしていた雀の群れも全く見られなくなった。あの雀たちはどこへいってしまったのだろうか。

我が家の庭は、農薬が使われていないので、てんとう虫や蝶、蜂や雀の天国だった。にぎやかな羽音、鳴声で一杯。それが減っているように感じられる。春は菜の花、桜の花に群れていた蜜蜂、夏はオシロイ花やドクダミの花、秋はさざんかの花、冬は水仙と里と庭の花は巡るけど、生き物の賑わいが減っているように感じられる。鳥たちの大好物の柿の実も、いつまでも赤い実をつけたまま。

里山に住み始めて12年。この短い時間で激しく変わった。自然が寂しくなっている。周りの田んぼに稲は実るけれど生き物の気配はない。ざわめきがない。

我が家の田んぼには、名も知らぬ生き物達が一杯で、虫の声、蛙の大合唱でにぎやかだ。めっきりトンボが減ったけど、それでも彼らは知っている、そこが命の泉であることを。害虫も発生するけど、益虫も発生してバランスが取れる。害虫も益虫も人間の都合にとってそうであって、彼らは自らの命を精一杯に生きているに過ぎない。

遊学の森トラストの仲間達と田植えをし、草取りに汗を流す。オシャベリをしながらの稲刈りは楽しいハレの日だ。子ども達も遊びに余念がない。笹がけした稲穂の列が何列にも並び、体の中から充実した喜びが湧き上がる。

同じような繰り返しの農作業「飽きもせずよくつづけられるよな~」と感じていたかつての自分が信じられない。毎年同じような作業も主体・客体全く同じではありえないし、ほのかに満ちるえもいわれぬ充足感は、1人1人のお百姓の身も心も包みこんで、植物との対話に時間を忘れさせているのであろう。

崩壊は、鳥や蜂、蝶や蟻、地上の生き物から始まっているようだ。めったにきじやウサギは見なくなった。子沢山の猪は里に降り、田や畑、土手を掘り崩す。かろうじて土の中で生活するモグラや蛇は健在のようだ。

「科学と技術は私たちの生活を向上させるものと普通考えられている。けれども、一方で科学的知識を生産し、普及させ、新技術を開発してきたこれまでの支配的なやり方はますます危険な性格を帯びるようになり、人間やその他の生物の生存を脅かす凶暴な暴力の原因となりつつある」(ヴァンダナ・シヴァ「農業における暴力と非暴力」)

ものいえぬ小さな動物だけでなく、里山の大きな家に住みながら子どものいない夫婦、身体の不自由を強いられた二人の子供のいる家庭、そして、子ども達は都会に去って二人暮し、一人暮らしのお年寄り家庭。お互いにあまった農産物をシェアーしあう習慣は、かろうじて残っているけれど、田んぼに生物の賑わいが失われたように、人の世界もひっそりと支えあって生きている。

それでも希望は里山にある、と感ぜずにはいられない。企業に勤めることを「飼い殺しの羊」状態と感じる若者が増え、自らの経験の中から里山に移住する若者は後を絶たない。3・11福島原発事故は、それに拍車をかけた、と同時に対抗文化、対抗価値観も登場している。

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