2013年10月25日金曜日

【原発アクション】3・11福島第一原発爆発で明らかになったこと


あべふみこ


福島第一原発によって、日本の原子力発電所相対が浮き彫りになった。

それは、1)実態を改めて確認させられたこと。2)自分達の姿にも、光を当てたことである。


1)実態を改めて確認させられた。

日本は地震国であること、その地域に48基の巨大な原発ががあり、さらに、核リサイクルシステムの“もんじゅ”と六ヶ所村再処理工場もある。すなわち、各原発から出る放射性廃棄物を再処理して、原料のウランを購入しなくても原子力発電所が稼動するシステムが目指された。

しかも巨大な原発の耐用年数が、わずか20年から長くても40年。日本の木造建築から見てあまりにも短い。設備の巨大さ、リスクの大きさから見てもあまりにもアンバランスだ。巨大だが、直接電気を創っているわけではなく、たかがお湯を沸かす装置であるという実態!実は、巨大設備そのもの、その運営が目的で、そこに群がる巨大な利権の構造=原子力村の存在も明らかになった。


2)利権に関係のない私達の姿にも光を当てた。

巧妙に作られた安全神話の中に安住させられていた私達生活者。現在の私達は、核の脅威の中で生きる存在としての社会的人間であること。そのことは、社会的存在としての大人の責任として、原子力=核の問題について行動することを要請している。

原発の運転を横目で見ながら、ノーテンキにオルタナティブな生活などを追及することは許されない。すべてを失いかねない事態なのである。村を挙げてオルタナティブなエネルギーや生活を実践していた飯館村の悲劇がそのことを教えている。

そして、次世代、次次世代の人達に、人としてのくらしを引き渡す責任を負っていることを忘れないようにしよう。即時廃炉で動くことは、私達の日常生活の欲求である。


「誰が、放射能をみたでしょう?

僕もあなたも見やしない

けれど、私達のDNAを切断して、

風は通り抜けていく・・・・・」

(アーサー・ビナード)

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