2011年7月25日月曜日

さわのはなの生産者からのメッセージ 2011年7月14日

● 東北地方も梅雨明け宣言が出たが、6月中旬からの長雨で大豆トラスト畑が(毎年のことであるが)草でいっぱいである。7/6、吉野さんが管理機で中耕してくれたがなかなかうまくいかない。この7/30、31の大豆トラスト畑の草取りツアーでは多くの方々に参加していただき、交流を楽しみたい。
7/3、ネットワーク農縁の発足当時から都市側世話人だった守田典彦さんを偲ぶ会に出席した。草取りや稲刈りなどの援農の時、「あまり無理するな」と言っても益々頑張り、それと守田さん、よく喋るのだがあまり良く聞き取ることが出来なかった。
守田さんの経歴からして、世の中に折り合いがつき、迎合していたらもう少し経済的にラクだったりしたと思うが、若い時に培った思想や哲学を一生貫き通した人だった気がして、そんなところが大好きだった。
【 今田 多一 】


● ここ数日前から30℃を超える暑さになりましたが、稲は今のところ特別な被害はなく順調に生育しています。山形県の調査で今年はカメムシ(斑点米の原因)が例年より多く発生しているようです。慎重に栽培を進めていきますが、いつもの年より斑点米が多く出るかも知れません。
【 星川 公見 】


● 6月末の土日、津波で家を失った夫のイトコ夫妻が犬3匹とともに訪ねてくれた。久しぶりの遠出で気分転換だと言う。家のあった山元町にはもう住まないとのこと。「いのちがあっただけで…」と声を詰まらせた。助かってよかった。
また、炊き出しに出向いて親しくなった仙台市のボランティアK子さんがご両親とともに訪ねてきた。両親は福島県田村市に居住しており、原発事故現場から30kmそこそこの所のため、仙台に避難しているのだという。6月は山菜のシーズンだが、今年は食することはなかった。気分転換に、山菜採りをしたい、案内できないか、との事。フキ採り夢中になり、久しぶりに楽しめたとの事。手助けになれてよかった。
7月1日、亡き祖母の実家、宮城県牡鹿半島の先端にある鮎川浜を目指した。海と山の境を縫うように道が開けているのだが、地震によるひび割れ土砂崩れ、津波による侵食でいたる所に段差が生じていた。低地にあった家はすべて流されたが高みにあったため全壊を免れた。家は傾いた状態だが何とか暮すつもりという。ここにどれだけの人が残るのだろうか、と案じていた。住んでいた土地があっても帰れない。家があっても戻れない。将来への不安。政治への不信。不条理を圧して人は生きている。
【 遠藤 信子 】


● 平年より10日以上も早い梅雨明けに、昨年の猛暑が思い出され今からグッタリしています。稲の生育は持ち直してきていますが、いまだに若干の遅れが見られます。
それにしても、このクソ暑いのにテレビ・新聞を見れば、震災対応や原発対応に更にカッカするばかりだ。当初の東電の免責画策とそれを後押しする経団連を見ていると、この国の財界人の本性を見る思いがするし、保安院も原子力委員会も事故には何も責任がないためか他人事のような話振りだ。福島の原発事故は、一種の犯罪と見ていいはずなのに。
【 笹 輝美 】


● 12日、輝美さんと13時間の行程で神室連峰の登山道 (縦走路・尾根道) の刈り払いに臨んだ。準備不足で疲れがすぐに出た。この状態で、行程一番の荒行に耐えられるのか、持ちこたえられるのか、今年は不安がよぎった。カラダ中の水分が入れ替わるのではないかと思うほど汗をかいた。水がうまい。気力だけで凌いできた感がある。日程調整を図り(これがなかなか難しい)また二人で出かけることになる。今度は泊まりがけ。荷が重くなるのを承知で缶ビール必携。新庄盆地を潤す源頭の残雪に埋め込みキンキンに冷えたのを、熱々のミズ汁を肴にいただくのだ。酔わないはずがない。
きっと暑くなるのだろうな。
【 遠藤 敏信 】

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