2011年4月30日土曜日

【原発アクション】テレビ朝日「子供の許容被ばく線量高すぎる」と疑問(04/27 11:51)

 ノーベル賞も受賞した国際的な医師の団体がワシントンで会見し、文部科学省が子供の1年間の許容被ばく線量の目安を「20ミリシーベルト」に設定したことに疑問を呈しました。


 アイラ・ヘルファンド医学博士:「衝撃的だったのは、日本政府が福島の子供たちの許容被ばく線量の基準を高く設定したことだ」
 ヘルファンド博士は、「子供の場合、がんになるリスクが成人よりも2倍から3倍高くなる」と指摘して、許容される被ばく線量の基準を引き下げるよう求めました。アメリカでは、原子力関連施設で働く人の1年間の許容量の平均的な上限が年間20ミリシーベルトとされています。


【原発アクション】スターングラス博士インタビュー

【転載】僕と核


アーネスト・J・スターングラス博士 (Dr. Ernest J. Sternglass)
1923年、ベルリン生まれ。
14才の時に家族とアメリカへ移住。若き頃に、既に世界的権威だったアインシュタインと議論を交わし、科学の志を新たにする。1960年から1967年は、ウェスティングハウス社の研究室でアポロ月面科学ステーションプログラムの局長を務める傍ら、アメリカの大気圏核実験に反対するようになる。彼が国会で発表した研究の成果は、ケネディ大統領が'63年にまとめた部分的核実験条約(PTBT)の締結に大きく貢献した。(ケネディはその僅か三ヶ月後に暗殺されてしまう)70年代に入って、今度はそれまで安全だと信じていた原子力発電所の危険も公に問うようになる。'81年に出版した「Secret Fallout: Low-level Radiation from Hiroshima to Three Mile Island」 (邦題:赤ん坊を襲う放射能)は、低レベル放射線研究の代表的な本となった。1983年よりピッツバーグ医大、放射線医学名誉教授を務める。過去にスタンフォード大学、インディアナ大学、フランスのアンリ・ポアンカレ大学、ジョージ・ワシントン大学、コーネル大学で放射線医学と物理学の教壇に立つ。 1995年より、Radiation and Public Health Project (放射能と公共健康プロジェクト)局長。
(photo by Leuren Moret, Februray 2006, Japan)



ここで、スターングラス博士にお話をお聞きしたいと思います。彼は、原子力の本場アメリカで、60年代から、核実験や原子力発電による低レベル放射能の影響を訴えて続けて来た、数少ない科学者の一人です。2006年の二月には念願だった来日を果たし、青森県の六ヶ所村も訪ねています。

こんにちは、今日はよろしくお願いします。

Sternglass博士(以下、S博士)「まずはじめに、日本には55基もの原子炉が運転しているのを知ってるよね。」

、、、はい。

S博士「それに、ほとんどが海岸沿いの国土の2割程度の面積に人口が集中していて、原発も割と近くに配置されている。だから、日本政府が2003年度に発行した、過去100年の日本人の死因の推移を見たとき、あまり驚かなかった。」

と言いますと。

S博士「日本では、戦後の50年で、がんの死亡がずっと増え続けている。1900年台の前半は、がんはそこまで存在しなかった。日本に原爆が落とされて、アメリカ製の原子力発電所が導入されてから、一気に増え始めたのだ。今でも日本にある原発の八割がアメリカ製だ。」

はい。

S博士「そして、本場のアメリカで分かって来たことが、原子力発電所というのは、公に発表されているよりも、ずっと大量の放射性物質を放出しているということだ。大半は、細かい分子になった、核の分裂によって産まれる物質で、大気や海に放出されている。核分裂生成物というやつだ。」

はい。これが、自然放射線と混同されると、訳分からなくなりますね。

S博士「その通りだ、そもそも自然放射線というのは、海抜0メートル付近では、0.8 から1mSV(ミリシーベルト)が普通であって、それ以上はラドンなどごく特定の地域しか関係のないものや、0.15mSVほどのカリウムなどを大げさに数えている場合が多い。しかも、ほとんどの自然放射線が外部被ばくを起こすガンマ線で、体の中の特定な器官に蓄積して内部被ばくを起こすものじゃない。ストロンチウム90やヨウ素131などの放射性物質は、体の中に入り込むのと、それと同じ量を地面にばらまいたのでは、威力が全然違うのだ。」

分かります。

S博士「ヨウ素131は、ほとんどが一週間の半減期だが、これは首にある甲状腺に集中する。甲状腺というのは、体全体の新陳代謝をコントロールしていて、多くの器官が甲状腺のホルモンによって動いている。だから甲状腺が壊れると、大人だと、甲状腺に異常が生じたり、がんになることがある。また、ストロンチウム90は骨に集中する。これはカルシウムと似ているためで、カルシウムは、骨をつくったり、神経の伝達にも欠かせない。要するに、脳みその働き、考える力に貢献している。よって、ストロンチウム90が引き起こす問題というのは、あまり知られていないのが、カルシウムと同じように骨だけじゃなく、脳にも入り込んで、神経にダメージを与えるため、特に脳の発達に支障をきたすようになる。」

赤ちゃんですね。

S博士「赤ちゃんもそうだし、お母さんのお腹の中いる胎児のときからだ。それに、脳みそは10代まで発達し続ける。だからそこに問題が生じると、普通の読み書き、理解する力、計算する力、全体的に影響を受けてしまう訳だ。健康な脳みそをつくる過程でだよ。」

母親は知っておくべき情報ですね。

S博士「これは、本当に伝えなければいけないことだ。繰り返すが、ストロンチウム90やヨウ素131は自然には存在しないもので、ウランやプルトニウムが核分裂を起こしたときのみ、産まれるのだ。原子炉の中で起きていることは、原爆の核分裂が起こす環境破壊と同じなのだ。つまり、核実験などが広めた汚染を、原子力発電所がそのまま引き継いだに過ぎないのだ。」

なるほど。

S博士「これは数年前にJournal of American Medical Associationで発表されたばかりなんだが、妊婦が歯科医でX線を数回受けただけでも、散ったX線が、ヨウ素131のように甲状腺に影響を与えて、それが早産につながる確率が数割高くなることが分かった。こうした未熟児は、現在の医学ではほとんどを救うことができるのだが、X線のせいですでに脳の発達に影響が出てしまっている。それが思考力や、集中力の欠如に表れる。脳の発達に支障をもった未熟児は、自閉症になる可能性も出てくるのだ。」

このように器官に集中する放射性物質は、どのようにダメージを与えているんですか?

S博士「ヨウ素131の場合、ガンマ線というのは、X 線と一緒で、とても強いエネルギーを持った光を出す。そして、ベータ線は電子なんだが、数ミリしか飛ばなくても、臓器に埋め込まれると周りの細胞を破壊する訳だ。変異を起こしたり、遺伝子を傷つけてしまう。そして、フリーラジカルが産まれる。フリーラジカルとは、マイナスの力を帯びた酸素分子で、寿命も一瞬なんだが、これがプラスを帯びた細胞の粘膜に引き寄せられて、穴を空けてしまうので、大変なことだ。これらのことは、60年代の後半から70年代にかけて分かったことで、原子力発電を始めたずっと後の話だよ。」

はい。

S博士「初めての原発が1942年のシカゴだったから、そのおよそ30年後に分かったことだよ。もう一つ興味深い発見だったのは、X線などの強くて短い刺激がつくる多くのフリーラジカルは、実はお互いとぶつかり合って、そこまでダメージを引き起こせないんだ。これを、私は『混んだナイトクラブ効果』と呼んでいる。分かるだろう、狭い空間に人が入りすぎて、身動きが取れないのだ。これで分かったことが、X線などが与える、自然放射線の一年分に値する1mSVほどの一度の衝撃は、思ったほど効果がなく、同じ量を一週間、一ヶ月の間に分けて微量を受けた方が、細胞あたりのフリーラジカルが少ないために、ずっと大きなダメージを与えるのだ。」

そうなんですか。

S博士「このことは、衝撃だった。つまり、X線や原子爆弾のように、集中された強い放射線よりも、永続的な低レベルの放射線の方が、ダメージは100倍から1000倍も大きいことが分かったのだよ。」

なるほど。

S博士「我々はヒロシマやナガサキで集めたデータを信じきってしまったのだ。原爆は、主にガンマ線と中性子線を一瞬で放出したから、本当に強くて大量のエネルギーを放出した。ましてや、その頃はフォールアウト(『死の灰』と訳される)のことも良く分かっていなかった。要するに、長期的な低レベル放射能の影響を、今日でも、完全に間違って計算しているのだ。 2003年にイギリスのクリス・バズビー (Chris Busby) 氏らが、ヨーロッパのECRR機構(European Commission on Radiation Risk) に頼まれて、原子力発電所のリスクについて過去50年の様々な論文やケースを完全に洗い直したところ、同じ結論にたどり着いたのだ。我々は、低レベルの内部被ばくによる影響を、少なくとも100倍から1000倍、過小評価して見積もっているのだ。」

はい。

S博士「もう一つ言いたいのが、ストロンチウム90は骨に入って、強い電子を放出する。骨髄では赤血球と白血球もつくられているから、ここで異常が起きると、白血病を起こす。また、白血球というのは、体のありとあらゆる病源と戦っているから、白血球がちゃんとつくられないと、これは大都市で警察のストを起こすと犯罪率が一気に高くなるようなものだ。分かるね。ストロンチウム90が白血球を壊せば、体中にがんが起きても止めることができない。ストロンチウム89の半減期は50日で、ストロンチウム90の半減期は28年だから、体に蓄積されていくものだ。」

そうですか。

S博士「さきほどの低レベルの放射能の話に戻るが、人々が間違いを犯した原因のひとつに、放射線によるがんの治療による。これは動物実験で、一週間おきに集中した放射線をあてれば、健全な細胞は元に戻るということから、放射量を細かく分ければ、体には影響が少ないと信じられていたのだ。ところが、内部被ばくの場合は、少ない量でも常に体の中にある訳だから、慢性被ばくと言っても良い。これが何十年間と蓄積されると、ストロンチウム90のように白血球が壊されていけば、肺炎やさまざまな感染が起き易く、免疫力が激しく低下することに繋がるのだよ。」

では、質問を変えます。
原子力発電所は、すべての排出物をモニタして、環境もモニタして、すべては安全だと言います。何がいけないのでしょうか?

S博士「何回も言うが、0.1〜0.2mSVほどのX 線の影響と、核分裂生成物を比べて、影響を少なく見積もりすぎているから、誤った安全の基準を適用しているところが間違っている。2005年に発行された US Academyの論文には、『どんな微量の放射能でも、必ず何らかのダメージを与えている。無害ということなどない』と書かれているくらいだ。一時期、『微量なら健康に良い』と信じられていたのもまったくの間違いで、『一定値以下なら安全』と信じられていたことも、間違いだった。これはようやく最近、世界中で発表されている論文で認められてきたことだ。更に、1000倍もダメージを少なく見積もってものだから、0.1mSVだったものが、実質的には 100mSVと同じダメージを加えているのだ。」

これらの核融合生成物は、化学的にフィルタすることってできるんですか?

S博士「完全には無理だ。中空糸フィルタやイオン交換樹脂など、どんなにテクノロジーが進化しようと、完璧なフィルタなど存在しない。例えば、アルゴン、クリプトン、キセノン、ラドンなどの希ガスは、化学的にフィルタすることはできない。トリチウムなども水分と同じような性質なので、なかなかフィルタできない。モニタリングは、結局、役割を果たしていないのだ。自然界はストロンチウム90やヨウ素131をつくらないから、自然放射能と比べるのはおかしい。更に、X線などは刺激が短か過ぎる。だから、安全だと思っていた放出量が、実はそうではなかったということだ。」

それでも、核実験からの残量放射能が減って来ていて、今では食物に含まれている値も示していますが。

S博士「良いかい。基本的に原子力発電所が自ら検出して発表しているデータはそこまで信用しない方が良い。電力の生産があがるほど、放射性物質の排出はぜったいに免れられないのだ。それに、原子力発電所がどのくらい排出しているかを心配したり論議するよりも、人間にどのくらい入って来ているのかを検出する方がずっと早いのだ。私たちの90年代の研究で分かったことは、アメリカで原子力発電所の近くに住んでいる子供たちの乳歯から検出されたストロンチウム90は、かつての核実験の時代と同じくらい高くなってきているということだ。これは原子力発電所が放射性物質を出し続けている確固たる証拠だ。このプロジェクトもアメリカの政府がデータを公表しなくなったために、独自で始めたのだ。ストロンチウム90の値は、すでに胎内で蓄積されていることが分かることと、ストロンチウム以外の放射性物質も入って来ていることを裏付けるから大事な訳だ。これらはすべて、いわゆる通常の運転で起きていることだよ。」

それは日本にも言えることですか。

S博士「繰り返すが、日本の八割はアメリカ製の原子力発電所であるからして、まず間違いないだろう。原子力発電所の放射性ガスや放射性物質の粒子は、日本の美しい山脈に降り注ぎ、それがきれいな湧き水に混入して、田んぼや畑、飲み水に入って行ってしまうのだよ。風がどっちに吹いていようが関係なく、これがいちばん起こりうる被ばくの方法で、私はこれが日本でがんが急増している要因のひとつだと考えている。ちなみに、ロレン・モレーが日本で集めた乳歯のサンプルからもストロンチウム90が充分なレベル検出されている。これはどこで産まれたか、どこで育ったかによって大きく異なるし、もっと大規模な研究が必要だが、アメリカと同じような状況であると予想される。小児がんを主に、健康な発育が妨げられる確率が数割は高くなるということだ。もちろん、放射性物質による害は成人にもあてはまることだ。」

そうなんですか。

S博士「ついでに、もう一つ重大な話をしよう。ストロンチウム90から出来るのが、イットリウム90だ。これは骨じゃなくて、すい臓に集中する。すい臓というのは、糖尿をおさえるホルモン、インスリンを分泌しているから、ここに異常が出ると糖尿病になる。世界中で、糖尿病が急増しているのは知ってるね。日本は、すでに人口の割合から言えば、アメリカの二倍もいる。そのアメリカだって、イギリスより率が高いのだ。日本では、戦後から現在にかけて、すい臓がんが12倍にもふくれあがっている。50年代の終わりにドイツの動物実験で発見されたのが、ストロンチウム90が電子を放出してイットリウム90になると、骨から肺、心臓、生殖器などに移動するのだが、すい臓に最も高い集中見られたのだ。インスリンがうまく生産されないようになって、血糖値が上がってしまうのだ。今までは放射能が糖尿病と繋がっているなんてまったく認知されていないのだ。これで分かっただろう、国際放射線防護委員会(ICRP)は、当初、放射能の影響として、特定のがんと奇形児くらいしか認めなかったのだ。未熟児、乳児の死亡や、肺、心臓、すい臓、これらの部位への影響はすべて無視されてきたのだ。」

はい。

S博士「民間エネルギーの最初の原子力発電所は、ピッツバーグに57年に、私が15年間勤めたWestinghouse社によって建てられた。私たちは、汚い石炭の発電所よりも、安くて、きれいなエネルギーだと思っていた。微量の放射性物質が逃げても、大したことないと思っていたのだが、それは大間違いだった。これと同じ原子炉が、今でも日本でたくさん稼働している。70年代にカナダのエイブラム・ペトカウ (Abram Petkau) 博士が発見した、低レベル放射能によるフリーラジカルの影響を、未だに反映できていないのだ。フリーラジカルの性質を分かっていなかったのと、放射線量と人体への影響が比例的な関係だと勘違いしていたのだ。低レベルで起きる様々なことは、ヒロシマとナガサキの生存者を調べただけでは、まったく予期できなかったのは当然のことだ。」

はい。

S博士「だから、原爆の生存者や、X線のデータによって計算された国際的な許容量はまったく間違っている。これは、原子力発電所が大規模に建てられるようになって、何十年も後に分かったことだが、誰もその過ちを認めることが出来ずに、今日まで来てしまった。その理由の一つとして、すでにウラン鉱山に巨額の投資がされてしまっていたことがあるだろう。だから、ウランの利益を受けている人たちは、過ちを認めないどころか、それを絶対に隠したいのだ。ウランは核分裂以外には役割がないから、それがただの粉末のゴミになることを本気で危惧しているのだ。世界中の政府や企業、イギリスの皇室などが所有しているウランは、原子力発電所が他の燃料で動くようになったら困るのだ。」

日本企業もかなり先行投資していますよね。他の燃料と言いますと?

S博士「天然ガスだ。天然ガス発電に切り替えれば、なんと、設備投資の7〜8割は無駄にならない。天然ガスはあと数十年は持つと言われているから、その間に自然エネルギーを開発すれば良いのだ。コロラド州のフォート・セイント・ブレイン (Fort St. Vrain) は、すでにこの成功例だ。原子炉だけを閉じて、天然ガス用のボイラーを横につくって、タービンの建物など、ほかのものはそっくりそのまま使えたのだ。そう、原子力はお湯を沸かしているだけだからね。原子炉の中の水も放射能を持っているために、配管が錆びて出てくる鉄、マンガン、コバルトなどにも中性子がぶつかって、普通の元素まで放射性になって大気に飛び出てしまうのだよ。これが体内にも必要な物質の場合、放射性の鉄分だって血液に入ってしまう訳だ。」

原子炉を解体しただけで、その付近は大丈夫なんですか?

S博士「そうだ。その証拠にコロラド州は、あらゆるがん、小児がんの率が全米でいちばん低いのだ。解体すれば、新しい核分裂や放射性ガスを止めれば、燃料自体は、まだ残っているが隔離することはできる。それが素晴らしい点だ。もちろん、完全に廃棄するにはたいへんなコストがかかるよ。これはもっと大変な問題だ。だから、原子力産業は、古くなった発電所を解体する巨額のコストを考えていなくて、将来のコストを少なく見積もりすぎているのが、大問題だ。でも、運転を止めることさえすれば、せめて新しい放射性ガスが発生することは抑えられるのだからね。」

環境的には、それがいちばん良い訳ですね。

S博士「とりあえずは、だ。その代わり、何万年、何億年と放射能を持つ核廃棄物をどうするのかを、まだ誰も解決できていない。何故かというと、長い時間が経つと、地下に埋めようが、山に埋めようが、放射線が缶から漏れ始めることが分かっているからだ。缶が空気中のバクテリアに侵されて行くからだ。そうすれば、今度は地下水が汚染される。」

はい。

S博士「環境的な問題はそれにとどまらない。日本のロッカショで起きようとしていることは、全国の55基分の廃棄物を集めるから、どうがんばっても大量の放射性物質を大気と海に捨てることになるだろう。そうすれば魚も死ぬし、近辺の入江に生息する貝や生物が放射性物質を吸い込んで、人間と同じように免疫力が低下して行って、死んでしまうのだ。60年代に核実験が盛んに行われていた時期も、北大西洋では、魚が激減して、核実験が終わったあと、一気に元に戻った。決して乱獲のせいなどではなかったのだ。このことは、今でも世界中の原子力発電所の近くで起きている。クジラやイルカも、川に流した放射性物質によって、みんな影響されているのだ。」

何度も言いますが、それでも原子力発電所は、海への放出をフィルタして、ちゃんとモニタしていると言いますが。

S博士「だから、そんなフィルタがあれば、固形の廃棄物の心配だけで済むから嬉しいよ。でも現実的には、一部の放射性物質しか取り除けないことは、実績で分かっているのだ。しかも、事故や人為的ミスの可能性も計算にいれてなくても、この状況だ。過去には放出しなくて済んだ放射性物質も、大量にあった訳だ。スリーマイル、チェルノブイリ、これらは、世界中に多大なるインパクトを与えたのだ。我々はチェルノブイリが起きた翌年のアメリカでも、統計データとEPAによるストロンチウム、ヨウ素、セシウムの測定量から、数万人規模で過剰な死者が出たと考えている。」

そうなんですか。

S博士「特に日本の場合は、地震国だということを忘れては行けない。日本の面積にあれだけの原子炉が集中していることと、ロッカショの再処理工場の最大の問題点は、さきほど言ったように全国の燃料棒を集めてプールにいれていることだ。これらは、本当に強い、本当に高レベルの廃棄物で、なんかの拍子に、このプールの冷却水にもしものことがあったら、大惨事では済まないことになるだろう。」

、、、質問を変えます。
なぜ、人間はそのような強い放射性物質を扱うことになったのでしょうか?

S博士「まず、自然の中で人間が経験してきた放射性物質は、カリウム40だけだ。これは体内に入っても、骨など、どこにも集中しないし、放射線量はストロンチウム90より多くても、体に蓄積もされないから、割とかんたんに体から抜けて行くのだ。地球ができたときに、ウランやたくさんの放射性物質ができたが、どれもストロンチウム90のようにカルシウムに化けて、核分裂生成物が体内に蓄積されるようなことはなかった。一部のアフリカの地下の鉱山の例外をのぞいて、核分裂の連鎖反応は自然ではぜったい起きないのだ。」
(註:20億年前に西アフリカにあるガボンのウラン鉱山で自然核分裂があったとされる)

はい。

S博士「例えば、普通の水の中にある水素は、宇宙線の影響でトリチウムになることがある。トリチウムも、特定の部位で濃縮されない。人間は、自然放射線の中で進化してきたが、これらも体に蓄積はされなかったし、フリーラジカルを長い期間にわたって体内に取り込むこともなかったのだ。海の中に微量に存在するウランも同じことだ。1938年に人間が核分裂を発見してから、すべてが変わってしまったのだ。」

分かりました。
では、日本は島国ですから、海の汚染についてもう少し詳しく教えてください。

S博士「海を守ることは、とても大事なトピックだ。我々が予測できなかったエピソードをもう一つ、教えてあげよう。昔、科学肥料が海に流れ込んで、藻が異常発生すると、魚貝類の酸素を奪ってしまうと疑われていた。その結果、酸欠になった魚や貝が死んでしまう訳だ。ミシシッピ川が流れ込むメキシコ湾で藻が大量発生したときは、窒素、つまり酸化窒素を含む化学肥料が原因だと思われていた。でも最近、新たに分かったことは、キセノンやクリプトンなどの放射性ガスのエネルギーが、大気の酸素と窒素を反応させて、酸化窒素をつくることが分かったのだ。雨が海に運んでくる土砂が化学肥料と同じ役割を果たして、間接的に魚の酸素を奪ってしまうのだよ。この容量で、原子力発電所は、酸化窒素だけでなく、酸素原子が三つくっついたオゾンもつくっている。つまり、原子力発電所が藻の激増に繋がっていることも、誰も予想できなかったことの一例だ。」

そうですね。

S博士「だから、発電所が出す液体廃棄物は、始めは誰もが海は広いし、とても深いので、人間社会にはまったく影響がないと計算していた。しかし、先ほどから言っているように、微量だから大丈夫ということは決して有り得ない。また、Busby氏らの発見が論文で細かく発表されたように、海に放出した放射性物質は、必ず波に乗って浜に返ってくる。イギリス、ウェールズ、スコットランドの原子力発電所付近の砂浜でも、このことが確認されたのだ。日本でもきっと同じことが起きているだろう。海水で薄まると期待していた放射性物質が、波に運ばれて返って来て、それが雨にも混ざって、また土の中にも入ってくるのだ。」

それでも、魚からは放射性物質が検出されてないと言われますが。

S博士「だから、まずそれは安全値がニ、三桁ずれたままだからだよ。もちろん遠洋の魚の方が、放射線を受ける量が少ないし、日本は遠洋漁業が多いから、まだ安全な方かもしれない。それでも、50年前の安全基準が残っていることが問題だ。たいていのガイガー・カウンターは分かり易いガンマ線を計っているだけで、アルファ線やベータ線のことは計れないので、これにはもっと複雑な機械が必要なのだ。」

そうなんですか。

S博士「ガイガー・カウンターは、砂浜にたまったガンマ線を読むことはできるが、魚のアルファ線やベータ線などの正確に計るには、魚の肉や骨をとって、化学的に調べる必要がある。これには大変な技術と計算力が必要になるのだよ。化学的に分離させた液体を、放射線検出用のシンチレーション計数管に通すのだから。つまり、骨にたまるストロンチウム90のように、いちばん強力で、いちばん厄介な放射性物質ほど、かんたんな計器では探知できないのだ。」

はあ。

S博士「分かったかい?原子力発電所ができてから30年後に、ペトカウ氏が発表して初めて分かったことがあったように、知らなかったことが多過ぎたのだ。ひとつの細胞が放射線を受けると、周りの細胞が影響を受ける『隣人効果 (Neighboring Effect) 』のことも知らなかったし、いろいろなことだよ。我々は、世界を壊してしまうような原子爆弾をつくってしまった償いとして、原子力発電を急ぎすぎたのだ。」

どういうことですか?

S博士「核分裂が発見されたとき、多くの物理学者は大学の研究室を出て、マンハッタン・プロジェクトに参加した。当時はヒットラーが世界的な脅威だったからだ。ドイツに原爆を渡してはいけない、と。同じことがイギリス、フランス、ロシアでも起きた。そのうちに、スターリンが出て来て、今度は冷戦が始まって、多くの物理学者は核戦争を避けるためにと、核爆弾の開発に一生を捧げたのだよ。と同時に、そんな軍事目的に利用されただけで死ぬのは良心が耐えられなかったのだろう、アイゼンハワー大統領が提唱した『平和な核利用』のアイディアに皆が飛びついたんだ。アイゼンハワーは、『クリーンな原子力』をつくる原子力発電所を世界中に売り込もうと躍起になって、物理学者はそれを喜んでその手助けをした。ヒロシマとナガサキで起きたことや、人類を滅亡させる核兵器をつくってしまったことへの罪悪感のためにね。」

とても興味深いです。
でも彼らは、放射能の影響を予知できなかったのですか?

S博士「そのときは、本当に経験とデータが少なかった。いろいろな不幸が重なって、今の状況をつくってしまったのだよ。多くの人は、核爆弾がないと不安でしょうがなかった。私の孫みたいに、お気に入りの布団がないと眠れないのと一緒でね。共産主義が世界を食い尽くしてまうのを止めるには、核爆弾が必要だと本気で思ってたのだ。これが核の軍拡の原因であり、それに乗っかって、アイゼンハワーがきれいなエネルギー政策と称して原子力を勧めたものだから、誰もが信じきってしまった。日本の場合は、国民がたいへん丁寧できれい好きだから、モクモクと汚い煙が出る発電所と違って原子力は魅力的だったに違いない。」

では、これだけの知識が今あって、それを知っている専門家も世界中にいると思うんですけど、根本的なところで変えて行けると思いますか?

S博士「これが実は難しいのだ。何故かと言うと、大学の研究室などのリサーチのほとんどは、政府の補助金で成り立っているからだ。その政府が、原子力発電はクリーンだと信じ切っていたものだから、今になって過ちを認めたくないのだ。例えば最近でも、コネチカット州の原子力発電所で問題があったのが分かっているにも関わらず、微量だから問題ない、と繰り返すだけだ。EPA(米環境庁)も、原子力産業を守ろうと、必死になっているのだ。石炭による発電が産むスモッグや水銀と違って、クリーンなエネルギーだと言う、昔の謳い文句そのままだ。でも水銀では、爆弾はつくれない。分かるかい。」

それは、今だと強く言われてますよね。二酸化炭素を排出しないから良いんだと。

S博士「それはいつの時代も言われてることだが、でも、本当は、ウラン鉱山の採掘、ウランの運搬、ウランの濃縮、多くのエネルギーを使って、石炭を使ってウランも濃縮すれば、世界のCO2排出量は、原子力発電所を増やすことで解決できないことは、誰の目にも明らかだ。その上に、今知られているウランの埋蔵量もたった数十年でなくなってしまうことを、誰も気にとめていないようだ。現在では、石炭が排出するガスを地中に送り返して岩に変えることによって、CO2の排出を防ぐ方法も出て来ているのだ。」

石炭が見直されてるのは聞いたことあります。

S博士「その他にも海洋エネルギーや、地熱エネルギー、風力、太陽、沢山方法はあるし、水素だけでもさまざまな活用法がある。これを原子力産業がひた隠しにしているのだ。ウランに莫大な投資している人たちが、新しい発電方法の浸透を防いでいるばかりか、健康への害も隠している。私が何十年も経験して来たことだが、体質的にモラルを忘れた産業だと言わざるを得ない。」

一般の人へのメッセージとして、自分の健康を守るには何をおすすめしますか?

S博士「アメリカでは記録を公表することも止めてしまったので忘れられてしまっているのだが、原子力発電所付近の農場がつくった牛乳は、まず飲まない方が良いだろう。また飲み水は、逆浸透装置を使えば、ほとんどの重い放射性物質はフィルタすることができる。本当は行政がやれば良いことなのだが、コストが高過ぎるのだ。」

それでは、今日はここまでにします。ありがとうございました!

S博士「ありがとう。ほかに質問があれば、何でもきいてくれ。」

【原発アクション】5月2日(予定) 子ども年20ミリシーベルト撤回を求める政府交渉



【転載】
グリーン・アクション/フクロウの会/美浜の会/国際環境NGO FoE Japanより。

皆さまへ
4月21日の政府交渉に続き、
子どもに年20ミリシーベルト基準撤回を求める交渉についてのお知らせです。
厚労省は保育園を管轄しています。そのため、急きょ、厚労省との交渉も入れました。
是非、参加してください。この基準を撤回させていきましょう。
当日は、原発震災復興・福島会議からも参加されます。

●日時 5月2日(月)(予定)
 ※ 確定すれば、改めてご連絡します。
 場所 参議院議員会館 1階 講堂(300名)

●5月2日のスケジュール (予定) ※ 昼食はすませておいてください。
 11:45       参議院議員会館ロビー集合
 12:15~13:15 市民の事前打ち合わせ
 13:30~14:00 厚生労働省との交渉 3月28日交渉での賛同署名提出など
 14:30~16:00 文科省、原子力安全委員会との交渉
   ★最初に、20ミリシーベルト撤回要請書・ネット署名の提出
 16:00~16:40 記者会見
 その後 約1時間 市民の交流会 
 

●文科省、原子力安全委員会との交渉では、子ども年20ミリシーベルト撤回の要請書とネット署名を提出します。ネット署名の呼びかけは6団体です。
グリーン・アクション/グリーンピース・ジャパン/原子力資料情報室/フクロウの会/美浜の会/国際環境NGO FoE Japan

★ネット署名の要求項目は2つです。これに対する回答を求めます。
・子どもに対する「年20ミリシーベルト」という基準を撤回すること
・子どもに対する「年20ミリシーベルト」という基準で安全とした専門家の氏名を公表すること

★ネット署名は、第一次集約分で3万3千を超えました。すごい勢いで広がっています。まだ署名を受け付けています。最終締切は4月30日(土)23時です。よろしくお願いします。
 詳しくはこちら http://blog.canpan.info/foejapan/daily/201104/23

●4月21日の交渉で宿題となった16項目について、未だ具体的回答がありません。

 そのため、福島みずほ議員事務所を通じて、下記を要求してもらっています。
・4月21日交渉で宿題となった16項目について、27日(水曜)までに文書で回答すること。
・年20ミリシーベルト問題について、原子力安全委員会の会議での発言等について克明な資料を出すこと。
・ネット署名を提出するので、文科省の三役(大臣、副大臣、政務官)のいずれかが出席すること。
・原子力安全委員会の委員が出席すること。
・厚労省宛の署名受け取り、要請・質問書に答えること。

●21日の交渉以降、国側は何も資料を出していません。出して来たのは下記のみ。
・文科省から:既に文科省のHPで公表している、4月19日付の20ミリシーベルト基準に関する資料のみ
・原子力安全委員会から:4月19日14時頃に原子力災害対策本部から助言を求められ、16時頃に助言の回答をしたという図式資料のみ。
>資料はこちら 
http://www.foejapan.org/infomation/news/genshiryoku_20110427.pdf

・4月25日に文科省と原子力安全委員会が福島みずほ議員事務所を訪れました。福島議員は、5月2日に再度の交渉を持つこと、原子力安全委員会のこの問題に対する4月19日以前の議事録、議員の発言に関する克明なメモの提出を求められました。 

●厚労省との交渉は、3月28日厚労省交渉で出した要求書への賛同署名提出と、子ども年20ミリシーベルト問題で厚労省にも撤回を求めます。
 政府の原子力対策本部は文科省と厚労省に子ども年20ミリシーベルト基準を伝えています。厚労省は保育園を管轄しています。厚労省の姿勢も問題になります。そのため、グリーン・アクション/フクロウの会/美浜の会で4月26日に急きょ要請・質問書を出しました。
>要請・質問書はこちら 
http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/mhlw_q20110426.htm

2011.4.27
グリーン・アクション/フクロウの会/美浜の会/国際環境NGO FoE Japan

【原発アクション】静岡で史上初800人!菜の花パレードはまおか2011/4/24



4月24日、静岡市青葉公園と周辺で「菜の花パレードはまおか」が行われ、800人が参加した。主催団体のふきのとうは地元の若者を中心に結成され、ホームページやツイッター、口コミなどを通じ、老若男女幅広い世代が集まった。特に若い世代や、親子連れの姿が目立った。

録画配信中】静岡で史上初800人!菜の花パレードはまおか4/24
http://portside-station.net/2011/04/27/7385/

【原発アクション】4/24脱原発集会の決議文(東京芝公園23号地、4500人参加)



【転載】
 3月11日に発生したマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震は、いまだに余震が続いています。被災地の皆様には心からお見舞いを申し上げます。そして一日も早く救援がより広く、確実に展開されることを願っています。

 この未曾有の事態に加え、人間によって引き起こされた恐ろしい原発震災が発生しました。1979年のスリーマイル、そして1986年のチェルノブイリ原発事故以来、多くの人々が2度とこのような事故をひきおおこしてはならいないと思い、原発に頼らないエネルギー政策をへの転換を求め、様々な活動を続けてきました。
 本年はチェルノブイリ事故から25年目になります。この事故を忘れず、さらに強く脱原発の思いをあらたにすべく、各地で集会が準備されていました。その矢先の福島原発震災でした。

 3月11日から50日近く経過した今もなお福島第一原子力発電所では放射性物質の流出が続き、解決の目途はたっていません。福島県のみならず放射能の汚染は、海に、陸に、広汎に広がりつつあります。
 農業者や漁業者からは悔しさと怒りの声があがっています。そして消費者からは食べ物や飲み物の安全性について不安の声が出ています。また原子力発電所現場で働く人たちの被曝問題など計り知れない問題が山積しています。

 そして4月19日、文部科学省は福島県の教育委員会などに対して、子どもも大人と同様の年間で20ミリシーベルトまで被曝しても良いとする通知を出しました。全国の一般人の被曝の年間基準量でさえ1ミリシーベルトなのです。子どもは大人とくらべると放射線の影響を受けやすいという観点を無視しています。絶対に許されることではありません。即時に撤回し、子どもたちに安全な環境を用意することを強く、強く、強く、要求します。

 今後も全国で地震が心配です。気象庁もマグニチュード7以上の地震発生を警告しています。活断層が直下にあり、且つ老朽化が進んでいる原発もあります。そこで地震が起きれば、たとえマグニチュード7以下の地震であっても、福島原発震災を超える第二の原発震災が有り得ると思います。これを防ぐ唯一の方法は、現在稼働中のすべての原発を今すぐ止めることです。

 今、立場の違いはあっても多くの人たちは原子力発電所に対して疑問を持っています。今日私たちは、チェルノブイリ原発事故の汚染地域からパーベルさんを迎え、また福島現地からの報告も聞きました。今後絶対に原発震災を起こしてはならないことを深く心に刻みました。この思いをより多くの人に伝えるために力を合わせ、声を大きくし、世論を動かし、今度こそ脱原発社会を実現しましょう。
2011年4月24日

  チェルノブイリ原発事故から25年
  くり返すな!原発震災 作ろう!脱原発社会 集会とデモ 参加者一同

※夜のNHKニュースで報道されました。

2011年4月26日火曜日

【ご協力ください】緊急声明と要請:子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求


子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求するため、美浜の会、フクロウの会、グリーンアクション、FoE Japan、グリーンピース・ジャパン、原子力資料情報室の6団体は、下記のような緊急声明および要請を政府に対して行います。

これまでの経緯は、以下のページをご覧ください。
http://e-shift.org/?p=103

このアクションに連名可能な団体・個人は、要請文の下のフォームからご連絡ください。
一次締め切り:4月25日(月)

以下は6団体の声明と要請文になります。

============ 声明・要請文 ============

2011年4月22日

呼びかけ団体:グリーン・アクション、グリーンピース・ジャパン、原子力資料情報室、福島老朽原発を考える会、美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会、国際環境NGO FoE Japan

【緊急声明と要請】
子どもに「年間20ミリシーベルト被爆」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求します!!!

4月19日、文部科学省は、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として、年20ミリシーベルトという基準を、福島県教育委員会や関係機関に通知した。この年20ミリシーベルトは、屋外で3.8マイクロシーベルト/時に相当すると政府は示している。3.8マイクロシーベルト/時は、労働基準法で18歳未満の作業を禁止している「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)の約6倍に相当する線量を子どもに強要する、きわめて非人道的な決定であり、私たちは強くこれに抗議する。

年20ミリシーベルトは、原発労働者が白血病を発症し労災認定を受けている線量に匹敵する。また、ドイツの原発労働者に適用される最大線量に相当する。さらにこの基準は、大人よりはるかに高い子どもの感受性を考慮にいれておらず、また、内部被曝を考慮していない。現在、福島県によって県内の小・中学校等において実施された放射線モニタリングによれば、「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)に相当する学校が75%以上存在する。さらに「個別被ばく管理区域」(2.3マイクロシーベルト/時以上)に
相当する学校が約20%も存在し、きわめて危険な状況にある。

今回、日本政府が示した数値は、この危険な状況を子どもに強要するとともに、子どもの被曝量をおさえようという学校側の自主的な防護措置を妨げることにもなる。文科省は、20ミリシーベルトは、国際放射線防護委員会(ICRP)勧告Pub.109およびICRP3月21日付声明の「非常事態収束後」の基準、参考レベルの1-20ミリシーベルトに基づくとしているが、その上限を採用することとなる。21日現在、日本政府からは、本基準の決定プロセスに関しては、何一つ具体的な情報が開示されていない。また、子どもの感受性や内部被曝が考慮されなかった理由も説明されていない。文科省、原子力安全委員会において、どのような協議が行われたのかは不明であり、極めてあいまいな状況にある(注)。

私たちは、日本政府に対して、下記を要求する。

  • 子どもに対する「年20ミリシーベルト」という基準を撤回すること
  • 子どもに対する「20ミリシーベルト」という基準で安全とした専門家の氏名を公表すること

(注)4月21日の政府交渉で、原子力安全委員会は正式な会議を開かずに、子どもに年20ミリシーベルトを適用することを「差支えなし」としたことが明らかになった。また、4月22日、5人の原子力安全委員の意見とりまとめについて議事録は無かったと、福島瑞穂議員事務所に回答している。

(参考)
4月21日付ドイツシュピーゲル誌の20ミリシーベルト設定に関する記事(「文部科学省、子どもたちに対してドイツの原発労働者と同様の被爆限度基準を設定」)より、専門家のコメントエドムント・レンクフェルダー(オットーハーグ放射線研究所)「明らかにがん発症の確率が高まる。基準設定により政府は法的には責任を逃れるが、道徳的には全くそうではない。」







2011年4月25日月曜日

【原発アクション】エネシフジャパン



「原発にも石油石炭天然ガスにも頼らない日本を創ろう~エネシフジャパン」という院内集会が行なわれます。
平日の夕方ですが、都合のつく方は是非ご参加ください。

http://www.sustena.org/eneshif/

・2011年4月26日(火) 17:00~19:00

・衆議院第一議員会館1階多目的ホール
(当日16:30ぐらいから第一議員会館の入り口で入館証が配布されます。行けばわかるようになっています)

・内容
「福島からの報告」
「地震と日本」(石橋克彦神戸大学名誉教授)
「原子力から自然エネルギーへシフト」(飯田哲也環境エネルギー政策研究所所長)

・呼びかけ人
加藤好一生活クラブ会長、若森資朗パルシステム理事長、高橋公ふるさと回帰支援センター事務局長、マエキタミヤコサステナ代表さんらが呼びかけています。弊会代表の藤田和芳も呼びかけ人の一人です。
また、国会議員の皆さんも呼びかけ人に名を連ねていらっしゃいますが、民主党、自民党、共産党、社民党、みんなの党、国民新党と今までにない顔ぶれです。

取り急ぎ、ご案内まで。


【原発アクション】福島第1原発:福島の農民ら350人 東電へ抗議

毎日jpより転載
 もう犠牲者を増やさないで--。福島第1原発事故で避難や出荷停止に追い込まれた福島県の農家ら約350人が26日、東京都千代田区の東京電力本店前で、謝罪と賠償を求めて抗議活動をした。原発災害を苦に先月、自ら命を絶った福島県須賀川市の専業農家、樽川清志さん(当時64歳)の妻美津代さん(61)も遺影を胸に参加。「原発を止めて。それが夫の願い」と涙ながらに訴えた。


夫の遺影を抱え、東電本店前を歩く樽川美津代さん(左から2人目)=東京都千代田区で2011年4月26日、阿部周一撮影

 「東電への抗議の死だったと思うんです。土作りに人一倍力を入れていたから……」。デモの途中、別棟で農家代表ら約20人と面会した東電の補償担当社員に、美津代さんは言った。

 清志さんは減農薬農業を手がけ、丹精込めて栽培したキャベツを学校給食用に納めていた。小学校で食育の出前授業をしたこともあった。だが、原発事故がすべてを変えた。原子炉建屋の水素爆発を報じるニュースを食い入るように見つめ、「福島の農業はもうおしまいだ」とつぶやく夫の姿を、美津代さんは覚えている。

 3月23日、政府は福島県産野菜の出荷停止を発表。翌朝、清志さんは自宅そばで首をつった。遺書はなかった。


牛も参加した農家の抗議行動=東京都千代田区で2011年4月26日、阿部周一撮影

 抗議活動は「農民運動全国連合会」(東京)が主催し、千葉や茨城など、風評被害に悩む関東地方の農家も牛2頭をトラックに乗せて参加した。「社長を出せ」「古里を返せ」。損害賠償の見通しを尋ねる参加者に、東電側は「持ち帰り検討させていただく」と繰り返した。美津代さんは「夫の思いは伝えた。誠意ある答えがほしい」と、オフィス街を後にした。【阿部周一】

【原発アクション】アースデイ&エネルギーシフトパレード開催

2011年4月24日アースデイエネルギーシフトパレードが行われました。ネットワーク農縁も出店。 パレードに参加しました。加藤登紀子さんも参加していました。 外国人が多いのが印象的でした。
















【原発アクション】【緊急院内集会】福島原発事故に関する公開質疑~事態の見通しと対応策~


【日時】4月27日(水) 12:00~14:00 (11:30 開場)

【場所】衆議院第1議員会館 1階 多目的ホール(定員198人)
(東京都千代田区永田町2-2-1、最寄駅:国会議事堂前または永田町)
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kokkaimap.htm

 福島原発が深刻な事態に陥って40日になろうとしています。少なくとも4機の原発からは、今なお大量の放射性物質の放出が続いており、大気と土壌と海水、地下水の放射能汚染は広がり続けています。東電は事故収束の工程表を発表しましたが、それで収まる保証は何もありません。そのため、福島県民をはじめ、東北、関東全域の住民に大きな不安と生活の危機が広がっています。放射能被害を最小限にとどめ、どう回避できるかは、緊急かつ国際的にも大きな課題となっています。
 そこで緊急に、事態を憂慮する超党派の国会議員たちと市民が共同して、政府の対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院に対し、情報の完全公開を求め、原発危機がさらに悪化する可能性と、その場合の避難対策について問いただす公開質疑の場を設けることになりました。
 どうすれば生命を守れるか――政府の事故対策の責任者に直接に質問を行い、回答を求める機会になりますので、ぜひご参加ください。
(当日は原発事故に詳しい専門家の参加も予定しています)

※事前に質問書と資料請求書(別紙参照)を提出したうえで、政府の原子力災害対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院の責任者の出席を求めています。

【参加費】無料

【主催】超党派国会議員有志
(呼びかけ議員)
[衆議院]石田三示(民主)、稲見哲男(民主)、服部良一(社民)、山崎誠(民主)
[参議院]川田龍平(みんな)、平山誠(民主) (4月20日現在)
(連絡先)服部良一事務所 (TEL)03-3508-7056 [担当:芦澤]

【協力】福島原発事故緊急会議
(連絡先)ピープルズ・プラン研究所
(TEL)03-6424-5748 (E-mail)ppsg@jca.apc.org

【賛同】脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会(eシフト)
(連絡先)国際環境NGO FoE Japan (TEL)03-6907-7217

なりわい創造塾(第2期)in 埼玉県小川町 受講生募集(2011年6月開講)


転載です
田中正治

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
なりわい創造塾(第2期) in 埼玉県小川町
受講生募集(2011年6月開講)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

経済成長の陰で地球環境問題や経済格差は深刻化してきました。
そして震災をきっかけに私たちの暮らしは海外の地下資源に頼り、暮らしを賄うことができていないことを痛感させられました。
私たちは未来のためにこれからの経済・社会の構造を考え、行動する、その分岐点に立っています。
この塾では私たちの足下にある、遥か昔から紡いできた生き方、多様な価値観の中から未来の社会やライフスタイルを創造していきます。

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃なりわい創造塾はこんな人のための塾です
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
食べるものとエネルギーは自分でまかないたい
助け合う地域コミュニティを実現したい
半農半Xな暮らしがしたい
自然に根ざした仕事を創りたい

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃塾の概要
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■期間 2011年6月~2013年3月(2年間)
■講座スタイル 原則月1回1泊2日 講義及び実習・現地見学
*第1期(2010年度)の様子はこちらをご覧ください。
 http://www.kyouzon.org/nariwai/
<1年目 基礎編・プランニング>
地域を歩き「なりわい」を営む方に話を聞き、里山
整備や農作業を体験することで、個々の将来のイメージ、地域のイメージを描いていきます。専門家の指導のもと、塾生自身が具体的なキャリアプラン、プロジェクトプランを立てていきます。
<2年目 実践編>一人ひとりがなりわい創造に向けたプロジェクトを立ち上げ実施
します。企画段階からアドバイザーやスタッフがサポートします。また、受講生のニーズやプロジェクトの方向性に合わせた講座を開講します。
■場所 埼玉県比企郡小川町
埼玉県小川町は池袋から東武東上線で約1時間。
和紙と有機農業の町です。
小川町ホームページ http://www.town.ogawa.saitama.jp/
■受講料(1年分) 5万円(宿泊費、交通費補助あり)
■募集人数 30名

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃事前説明会のご案内 ★締め切り5月1日
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■日時 2011年5月8日(日)13:00~17:00
■場所 小川町立図書館 ホール http://www.lib.ogawa.saitama.jp/
小川町増尾地区
■内容 塾の趣旨・概要説明
ワークショップ(皆さんの疑問にお応えします)
フィールド見学(有機農業、里山林の活用・自然エネルギーの実践地へ)
★説明会への参加をお勧めします。都合で参加できない方は、事務局にご相談ください。
【5月8日説明会 申し込み】
1)氏名(ふりがな)
2)年代 (例30代)
3)電話番号 (携帯電話他つながりやすい番号をご記入ください)
4)メールアドレス
5)説明会で聞いてみたいこと
NPO法人共存の森ネットワーク 担当:磯野・芳川
〒154-0004 東京都世田谷区太子堂5-15-3 R-rooms 1A
TEL:03-6450-9563 FAX:03-6450-9583/Eメール:mori@kyouzon.org

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃講座 カリキュラム、スケジュール(予定/敬称略)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
月1回の講座の他にもオプション企画として小川町内外で行われる活動・行事をスタッフ/講師がナビゲートします。地元の若者との活動等さまざまなカタチで つながりとスキルを身につけることができます。
■第1回6月25日(土)
お互いさまライフのすすめ ~結の文化~(公開講座)
講師 結城登美雄
6月26日(日)総合オリエンテーション・小川町・槻川を歩く
■第2回
7月23日(土)・24日(日)
「聞き書き」で知る農的暮らしの喜怒愛楽 講師  渋澤寿一
■第3回
8月中 自由研究・フィールドワーク
■第4回 9月3日(土)・4日(日)
なりわい探検隊!地元学で知る
~地域にあったもの、あるもの、生まれてきたもの~
講師  牧下圭貴
■第5回 10月 22(土)・23日(日)
日本の農山村の現状からなりわいプランを考えるワークショップ
講師 中山幹生
■第6回11月19日(土)・20日(日)
実践者に聞く!現場を見る!1 講座半農半Xと言う生き方
講師 塩見直紀
■第7回12月17日(土)・18日(日)
実践者に聞く!現場を見る!2 自然エネルギーと自給的くらし
講師 桑原衛
■2012年 1月28・29日 地域の課題調査とプロジェクトづくり
「自分流NARIWAI~なりわいづくりに向けたプロジェクトを立ち上げよう!~」
■2月25日(土)、26日(日)(仮日程)プロジェクト発表会
■3月16日(土)、17日(日)(仮日程)プロジェクト実践準備

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃応募について *5月31日締め切り
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
応募条件 埼玉県小川町での講座に通える方
応募締め切り 2011年5月31日
主催 NPO法人 共存の森ネットワーク
共催 小川町自然しごとづくりフォーラム
株式会社 森里川海生業研究所
助成 セブンイレブンみどりの基金
【塾への応募】
1)氏名(ふりがな)
2)現在の所属及び略歴
3)生年月日
4)住所
5)電話番号
6)携帯番号
7)メールアドレス
8)塾を知ったきっかけ
9)応募動機(形式自由)
を明記の上、EメールかFAX、郵送にてお申し込みください。なお、メールの場合、志望動機についてはワード等で作成いただき、添付することも可能です。
■お問い合わせ
NPO法人共存の森ネットワーク 担当:磯野・芳川
〒154-0004 東京都世田谷区太子堂5-15-3 R-rooms 1A
TEL:03-6450-9563 FAX:03-6450-9583/Eメール:mori@kyouzon.org
ホームページ http://www.kyouzon.org/

ご応募の際にお送りいただいた個人情報は、本件に関するご連絡および今後のご案内のためにのみ使用します。事務局にて厳重に管理し第三者に提供することはありません。

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃森と人の暮らしをつなぐ NPO 共存の森ネットワークとは
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
共存の森ネットワークは、森と人の暮らしをつなぐNPOとして、「人と自然」、「人と人」、「世代と世代」がつなぎながら、持続可能な社会づくりのために、様々な活動を展開しています。
1)青少年育成事業:林野庁、文部科学省等と共に主催する「聞き書き甲子園」の開催
2)普及啓発事業:「聞き書き」や「森と人の暮らし」に関する環境学習支援や講演、出版など
3)森づくり事業:学生や地域住民を主体とした森づくり・地域づくり活動の実践
4)地域づくり事業:里山林整備と資源の有効活用による里山林再生手引書の作成(林野庁補助事業)
詳しくはホームページをご覧ください。 http://www.kyouzon.org/


ニュース解説「眼」 4/6(水) 電力会社と知識人

2011年4月16日土曜日

【原発アクション】バイバイげんぱつ エネルギーシフトパレード

2011年4月24日(日)14時15分に代々木公園から「エネルギーシフトパレード」(エネパレ)が行われます。アースデーの日です。同じ代々木公園ですので、アースデーに参加しながら、パレードにも参加というのはどうでしょう。

【転載】


公式サイト
http://www.enepare.org/

このパレードは、「一般の方々や他団体とともに実現するパレード」です。

代々木公園から14時15分出発予定ですのでご都合が合えば、ぜひ、お友だちやご家族とご参加いただければ幸いです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
エネパレのお知らせを広めてください!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

より多くの方にご参加いただけるよう、ブログやTwitterで
エネパレの事をお知らせを広めてくださいませんか?
http://www.greenpeace.org/japan/shift/?20110415ped


【原発アクション】ドイツ・ミュンスターでのデモ

ドイツ・ミュンスターで毎週月曜日に実施されているデモの様子です。



人口28万人の町ですが、毎回、1500人以上の人々が参加しています。
ドイツ全国各地の町で、毎週月曜日に継続してデモが開催されています。


【原発アクション】城南信金が脱原発宣言

 原発推進の都知事を再選させた東京ではありますが、東京都品川区に本店がある城南信用金庫が、次のように「脱原発」を宣言しました。宣言は「ささやかではありますが」と言っていますが、どうして、本当に勇気ある宣言です。東京電力に総額2兆円も融資する三井住友や三菱東京UFJ銀行、みずほコーポレート銀行などのメガバンクやそれに類した銀行に貯金したり利用するのではなく、城南信金のような脱原発の金融機関を利用したいものです。

・城南信用金庫
 http://www.jsbank.co.jp/
・原発に頼らない安心できる社会へ
 http://www.jsbank.co.jp/topic/pdf/genpatu.pdf



原発に頼らない安心できる社会へ

城 南 信 用 金 庫

東京電力福島第一原子力発電所の事故は、我が国の未来に重大な影響を与えています。今回の事故を通じて、原子力エネルギーは、私達に明るい未来を与えてくれるものではなく、一歩間違えば取り返しのつかない危険性を持っていること、さらに、残念ながらそれを管理する政府機関も企業体も、万全の体制をとっていなかったことが明確になりつつあります。
こうした中で、私達は、原子力エネルギーに依存することはあまりにも危険性が大き過ぎるということを学びました。私達が地域金融機関として、今できることはささやかではありますが、省電力、省エネルギー、そして代替エネルギーの開発利用に少しでも貢献することではないかと考えます。
そのため、今後、私達は以下のような省電力と省エネルギーのための様々な取組みに努めるとともに、金融を通じて地域の皆様の省電力、省エネルギーのための設備投資を積極的に支援、推進してまいります。

① 徹底した節電運動の実施
② 冷暖房の設定温度の見直し
③ 省電力型設備の導入
④ 断熱工事の施工
⑤ 緑化工事の推進
⑥ ソーラーパネルの設置
⑦ LED照明への切り替え
⑧ 燃料電池の導入
⑨ 家庭用蓄電池の購入
⑩ 自家発電装置の購入
⑪ その他

以 上


アースデイ東京2011 開催


日程:2011年4月23日(土)・24日(日)
会場:代々木公園ほか

http://www.earthday-tokyo.org/

ネットワーク農縁・新庄水田トラストは、「鴨川村」で出店します。




同日開催

バイバイげんぱつ エネルギーシフトパレード

2011年4月24日(日)14時15分



【原発アクション】4月16日、大阪での原発いらん!御堂筋デモは4000人

昨日4月16日、大阪での原発いらん!御堂筋デモは4000人の参加でした。
集会やデモの最初の方は旧「新左翼」の集まりか?みたいなオールド・スタイルの方が多かったので、大丈夫か?
みたいに感じていましたが、デモの後半は「高円寺」状態で若い人も多く、延々とデモが続いていました。


4 16 原発いらん デモ 大阪 御堂筋←デモの後ろの方


2011年4月16日STOP原発!アクションin関西 反原発 大阪デモ 16.April.2011←デモの前の方


2011.4.16 大阪御堂筋 反原発デモ←このパフォーマンスは受けていました


4月16日-大阪中之島-心斎橋、原発いらん&原発反対デモ動画


4月16日-大阪中之島-心斎橋、原発いらん&原発反対デモ動画2


11.04.16 Sat. No Nuke Demo Osaka


2011.04.16 大阪反原発デモ


2011年4月16日STOP原発!アクションin関西 反原発 大阪デモ 16.April.2011


2011年4月11日月曜日

反原発デモ、東京・高円寺で15000人参加(2011年4月10日)

4月10日の反原発デモの様子、東京・高円寺で15000人参加動画がアップされています。

原発はいらないよー2011年4月10日の一日
高円寺反原発デモ写真1000枚





2011.4.10 高円寺デモ ①





新高円寺





高円寺・反原発デモ/ 4.10 NO NUKES






上杉隆氏ら自由報道協会による「原発事故」取材の報告

Part 1 (一部音声不具合有り)


Part 2


Part 3


Part 4


Part 5


Part 6 ラスト



2011年4月9日土曜日

【震災アクション】栃木県鹿沼市のレポート(林 良樹)

鴨川の安房マネー(地域通貨)の林良樹さんと農縁・水田トラスト事務局の阿部文子さんが宮城県・気仙沼から福島県・飯館村そして栃木県・鹿沼へと行きました。

宮城県・気仙沼から福島県・飯館村そして栃木県・鹿沼と3回にわたって、林良樹さんのレポートを掲載します。
(林さんの掲載許可をいただいています。)田中正治


引き続き、栃木県鹿沼市の報告です。

飯館村の方が、80人ほど避難していると、飯舘村の家の役場の人から聞きまして、鴨川に向かう途中、栃木県に寄りました。

鹿沼市の総合体育館には、約200名の避難民がいました。
飯館村の他に、大熊町や南相馬市の原発20圏内、30圏内の方々がいました。

鹿沼の体育館には、地震、津波、原発の三重苦の被災者がおり、もう帰るところがない人たちがいました。

最初、3つの地域のリーダーに支援村の話しをしたら、この話しは、他の地域の興味のある人に直接聞いてもらったほうが良いということになり、急遽、鹿沼市の自治体と話しあいをし、翌日の午後3時から支援村の説明会を開いていただくことになりました。



福島原発から、4キロ先に住んでいた方とお話ししましたが、「もう一生ふるさとには帰れなくなりました。」と、目に涙をためておっしゃっていました。

「もう、本当に原発は嫌です。」という子供を抱え震える若いお母さん。

「すべての夢を砕かれました」と肩を落とすお父さん。

「また、学校で友達にあいたい。」と泣く子供たち。

本当に、すべてを失った人たちがここには、いました。

もう、必然的に新しい土地に行き、いちから始めるしかありませんと無念そうに語っていました。
地震や津波ならまだしも、原発だけはどうにもならないと、みんな肩を落としため息をついていました。

気仙沼と違って、放射能汚染地域は戻って復興することが、出来ないのです。
この先何十年も、もしくは、もっと。

翌日の午後、鹿沼に避難している方に鴨川のお話をしました。
人生のステージを飼えるので、皆すぐには動けませんが、新天地に向かう人には、候補地の一つになったかもしれません。

これは、長期戦になります。

破壊と創造

希望と絶望

愛と憎しみ

色んな事が、なにもかも同時に流れ始めています。

日本という船が、大きく方向転換し始めています。

生みの苦しみです。

僕らは、新しい社会という出産の現場に立ち会っているのだと思います。

素晴らしい出産をして、元気な子を産みましょう。


林良樹

【震災アクション】福島県・飯館村レポート(林 良樹)

鴨川の安房マネー(地域通貨)の林良樹さんと農縁・水田トラスト事務局の阿部文子さんが宮城県・気仙沼から福島県・飯館村そして栃木県・鹿沼へと行きました。

宮城県・気仙沼から福島県・飯館村そして栃木県・鹿沼と3回にわたって、林良樹さんのレポートを掲載します。
(林さんの掲載許可をいただいています。)田中正治





続いて、飯舘村の報告です。

飯舘村と鴨川は、ご縁があり、村長と直接お話しをさせていただきました。

鴨川の受け入れいついて話すと、「基本的に申し出は、ありがたいですが、避難した村民は今どんどん戻って来ています。」と、村長は言っていました。

「一時、半分に人口は減りましたが、今は7~8割が戻って来ましたので、この調子だといずれ、ほとんどの村民が帰って来ます。」

「IAEAの発表により、村は混乱しましたが、今、村の水も放射能汚染も人体には影響のないレベルです。」とキッパリと言っていました。

それは、国と県から呼ばれ、村で緊急の講演を行った長崎大学の高村先生の講演で安全説を聞いてからです。

それでも、ここには、コミュニティーがあり、農地があり、家畜やペットや、家も車も、津波と違って何もかもが全部残ってあるのです。

そして、みんなここが好きで、この土地から離れたくないのです。

「中にはここを離れる家族がいるかもしれませんが、 3~4家族ぐらいじゃないでしょうか?わたしは、そう思います。」 と村長さんは言っていました。

福島に入ると、外にいる多くの人は、みんなマスクをしていました。

これから、福島の人は一年中マスクを付けて暮らす県民になるのだろうか?
政府の安全という基準を信じて、またいろいろな事情で今は、みんな愛する農村に留まる人が多いようです。

目に見えない放射能汚染という被害なので、村はいたって普通の日常生活が戻りつつあるようです。
「鴨川への避難という提案は、一応してみますが、そんなに反応はないと思いますよ」、とのことでした。

なので、原発30キロ圏内の人や、津波で何もかも失った人のほうが避難もしくは移住する可能性が高いという感じです。

しかし、行政以外の村民と話すと、村民がみんな政府のいう安全説を鵜呑みにしているわけではありませんでした。

毎日のように変化する原発の状況に、自治体も、村民も、心の中は揺れていました。

林良樹

【震災アクション】宮城県・気仙沼レポート(林 良樹)

鴨川の安房マネー(地域通貨)の林良樹さんと農縁・水田トラスト事務局の阿部文子さんが宮城県・気仙沼から福島県・飯館村そして栃木県・鹿沼へと行きました。

宮城県・気仙沼から福島県・飯館村そして栃木県・鹿沼と3回にわたって、林良樹さんのレポートを掲載します。
(林さんの掲載許可をいただいています。)田中正治



昨夜(4月6日)、鴨川に戻りました。
現地での様子を報告いたします。

4月4日、僕と阿部さんは、山形県新庄の有機農家のグループと総勢18名と物資を持って、気仙沼の炊き出しボランティアへ行きました。

気仙沼は、もう言葉がありません。

自然界の力を思い知らせれました。

あっという間に、圧倒的な破壊力で海辺の街、集落が消えてしまいました。

人も、生活も、家族も、家も、車も、お店も、船も、旅館も、電柱も、お気に入りの宝物も、パソコンも、スマートフォンも、犬も、猫も、歴史も、何もかもが粉々に砕かれていました…。

人口7万人の内、死者行方不明者2000人、避難民12000人で、多くの人は、高台の体育館や公民館にぎゅうぎゅうに暮らしていました。

着の身着のままで、命からがらで逃げて来た人々が、肩を寄せ合って助け合いながら、なんとか日々を過ごしているといった感じです。

僕が行った公民館にいる2~30の方々に鴨川の説明をしました。
また、その避難所のリーダーや、世話役の青年Sさん、また市役所にも、支援村の説明をし、資料を渡しました。



避難民の方に鴨川の話しをすると
みなさん、それはいいですね、
考えさせてくださいといっていましたが、
すぐに動く気配はありませんでした。

まだ先のことが考えられないといった状態でした。

家族と相談してみますと。

ただ、気仙沼の全体の2割位の海辺の低い土地に住んでいた方だけが被害にあい、他の8割の住民は、健在なのです。
だから、気仙沼全体のコミュニティーは破壊されていないので、他地域から来たボランティアだけでなく、地元の支援も多くありました。
また、一時避難で気仙沼以外の他の場所に移っている人は、土地感のある近隣の市町村に避難している人が多いようです。

しかし、市も、県も、国も、対応が間に合わず、補助金が一人10万から50万円位しか出ないかもしれません?と聞きました。

やっと、仮設住宅の建設が始まったようですが、百世帯くらいしかなく、まだまだ厳しい状況が続く様子です。

なので、今のところ鴨川に避難して来るかどうかは、なんとも言えません。

これからどうすっぺかね…といった先が見えないという感じでした。
そんな中で、とりあえず心身を休めるために、バカンスのつもりで短期間でもいらしてくださいとお伝えして来ましたが、今、気仙沼の人達の希望は、暮らしの再生であり復興でありました。

その希望があるからこそ、不安定な避難所生活にも笑顔がありました。


林良樹


【震災アクション】気仙避難所への炊き出し支援活動報告(その一)

飯島定幸



4/4 「会」の気仙沼市浜見山の紫会館避難所への炊き出し支援活動のかいつまんだ報告です。詳細は、阿部文子さん(農縁東京事務局)と林良樹さん(鴨川・大山支援村)が応援同行されていますので東京に戻ってから詳細な報告があります。今は福島県の飯舘村に応援中)河北新報からも取材に来ていたので、そこからの報道もあるかも知れません。

4時起き組から、トラックに荷を積んで準備開始。
今回は、炊き出しに必要な食材・備品の他に、米、保存麺、衛生品(Nさんの親戚の多くの方が被災に遭われてるので「会」に直接託した分も)、衣類品(会員達から「会」に直接託した分も)、長靴、燃料(ガソリン140リットルと発電機用の灯油40リットル、携帯コンロ用のガスボンベ缶100本)等を「会」に寄せられた募金を活用させていただいて、救援物資としてお届けすることに。

応援要員は、レンタル小型バスに同乗。(髙橋保廣、佐藤春樹、吉野敏充・昭男、遠藤信子・敏信、髙橋歌子・広一、今田多一、阿部昭雄、佐藤恵一、星川公見、コパンの料理長(新庄で仏レストランを経営)、今(農縁イベントによく参加される映像担当、長身の眼鏡をかけた東北芸工大出身の)敬称略、もしかしたら書き漏らしている人も。

途中で、待ち合わせの仙台でカフェ経営のIさんグループと合流。10時過ぎに避難所に到着。ここは、高齢者施設としての会館だったそうです。今は当然家屋財産車を津波の他に火災でも失ったりした被災者の方々が200人くらい生活している。
(当然、ここにおられる方の身内の多くの方々が生命を奪われ、未だ連絡が取れない安否未確認状態のままです)早速、炊き出しの用意を始めたわけですが、料理長にも参加してもらったので大いに助かったそうです。
この避難所は水道はやっと前日に使えるようになったとのこと。普段の食事炊き出しは、ドラム缶に木片・薪。食材は全国からの支援物資が廻ってきてはいるようです。

避難所代表鈴木武雄さん(高齢者)から「皆様の心に感謝いたします。ありがとうございます。」との言葉を受けて、固い握手をして2時半過ぎにその場を後にした。今後の支援活動地区としては、新庄市行政から要請されているW地区(仙台空港方面の)を考えていますが未定です。

この被災地近辺では、液状化現象での地割れやマンホールが浮き上がっている所も多く見られたそうです。自衛隊・救援隊による片付け作業もあちこちで続けられてるとはいえ、家屋・インフラの崩壊状態は被災当日状況からの進展が見られている感じでは全くなかったそうです。
今回初めて救援活動に参加された生産者仲間も、ただただ「これは、・・・・・・・」と絶句するのみだったようです。
短信等でつぶさに報告されてくると思います。

今後の復興支援活動は、先に記したW地区への応援にするのかも含め、支援のあり方ももっと色々な工夫を凝らして行く相談をネット農縁に持ち帰ることとなります。

2011年4月6日水曜日

【原発アクション】電力会社と知識人

ニュース解説 眼 4/6(水) 電力会社と知識人




2011年4月3日日曜日

【震災アクション】気仙沼、飯館村、鹿沼の避難所をおとずれて

ネットワーク農緑事務局
新庄水田トラスト事務局
鴨川市大山支援村スタッフ
      阿部 文子


4月3日 朝、鴨川大山支援村の会議のあと出発、新庄から気仙沼へ

鴨川大山支援村の林良樹さんの運転で、自動車で郡山から福島ヘ入ると、土の入った大きな土のうがたくさん並んでいる。

道路の修理のあとが、郡山に入ってひどくなり、米沢に入ると、体に異変が現れる。鼻はムズムズし、目がさすように痛い。蔵王町あたりでおさまった。墓石がなぎ倒されている所が何か所かあった。

夜8時、ようやく山形県・新庄に着いた。私たちの到着を待っていてくださって、一緒に夕食、その夜、高橋保広さんの農業についての話を聞き、お風呂に入ってぐっすり休んだ。

4月4日朝5時、道路も田んぼも庭も雪に埋もれていて、全体がうっすらと明るい。荷物を積み込み新庄から宮城県・気仙沼へ。

ネットワーク農緑 新庄の代表、高橋保広さんを中心として、佐藤恵一、阿部昭雄、遠藤敏信、星川公見、吉野昭男、今田多一、星川吉和の皆さん、そして2代目”のらくら”の若者5人、遠藤信子さん、高橋うた子さんの奥さん達、食事作りのプロシェフに、カメラマンを伴って、組織を挙げての一大イベント。

前日から用意された食材、米、豚肉、さといも、人参、ごぼう、コンニャク、漬け物に、ガス炊飯器、ガスボンベ各4台、それに直径1mもある、お風呂になりそうな大鍋、水。

人はマイクロバスに、荷物はトラックに、そして私たち鴨川市大山支援村の赤いマークをつけた乗用車もつながって、一路気仙沼ヘ。



気仙沼に入ると、入江に続く村や町は消えている。生活が、家族が、家が、車が、何もかもが粉々に砕かれ、車内から思わずウワァーと声が上がる。小高い紫会館の小さな広場に着くと、被災者の方々に挨拶し、すぐに準備に取りかかる。

炊き込みご飯と、いものこ汁。心を込めての協同作業。



炊き出しの場所の紫会館は、急坂の上にある、町の小さな公民館で、120名が避難。坂の下の街に家は残っているが、近づくとガレキが家の中に入り込んでいて、人が入ることさえできない。

道路がやっと整理された街を眺めていると、声を掛けてくださった40代の女性が、ポツポツと話して下さった。

向こうに見える、街の突き当たりの小高い丘の向こうは、海岸線の美しい町でした。重油が流され、一面に付着して火が着き、火の海でした。

こちら側は、『助けて、助けて』の叫び声。紫会館のある高台に逃れた人々に届く、その叫び声。今でも耳を離れません。地獄でした。」

3才の孫を抱いて逃げようとしていたら、天井が落ちてきて、一瞬、抱いていた腕から孫が離れ、そのまま行方不明」、という話。

大きな板が流れてきたので、それにつかまり、2昼夜漂って助けられた」話。

出来たての炊き込みご飯と、いものこ汁、ゆで卵、漬け物を、被災した人々は声もなく並んで、次々ともらっていく。ボランティアも掛ける言葉が無い。

チラチラと雪が降り、アラレに変わる。変わりやすい天候に、手はかじかんで、寒い。お互い火にあたり、いものこ汁で暖めて、林さんは気仙沼市役所に説明に行く。

 行方不明者の尋ね人欄が、ずらりと張り出された市役所も、混乱している。



紫会館避難所の長老の方が、「みなさん、ほんとうにありがとうございました。私たちは、いつの日か必ず立ち直り、街を、生活を立て直します。」

うしろ髪をひかれる思い、涙がこぼれそうになるのを、グッとこらえて聞いた。この言葉には、一抹の明るさ、光明を見た思いだった。


自然エネルギーの街 飯館村ヘ

4月4日、午後3時、気仙沼を出発。284号線を南下して、一路福島県・飯館村ヘ。この日、村長さんと逢い、お話を聞く。

村民6,000人のうち、3,000人が一時避難、そのうち2,000人が戻ってきた。

長崎大学の高村先生の話は「人体はマスクをする等で、影響を避けることができる。しかし『土』には触らない方がよい」というものであった。

村長は対応に苦慮しており、「対応が難しい」と、苦しい胸の内をあかした。

自然エネルギー、自然暖房、地元の材で創られた、木の香りの残る宿泊施設「までいの家」に一泊させてもらう。

4月5日朝、飯館村役場周辺を案内して頂く。町役場、までいの家、多目的交流空間、老人福祉の家、図書館と本屋、「石のまち飯館」にふさわしい彫刻もある。そして、それらの施設すべてに、エネルギーを供給する木屑チップボイラー2基。飯館村の方向性は、明らかに、この周辺に表現されている。

この田舎町で、これ程の整った施設を整えるとは、すぐれた職員の存在が光る。すばらしい。

しかし、朝起きて「までいの家」の庭で放射能を測ると、またたく間に計測器の針は振り切れた。体も反応している。目はチカチカ、歯ぐきの一部も出血、のどがイガイガしたり、軽い頭痛もする。


鹿沼体育館の避難者たち

 飯館村から栃木県・鹿沼に約100名が避難しているそうで、鹿沼フォーリストアリーナへ寄ることにする。ここは大きな体育館で、福祉センターが中心に、鹿沼市あげての支援体制である。現在、約200名の被災者がいて、直接、鴨川大山支援村の説明をすることになった。

4月6日、畳の敷かれたフォーリストアリーナの広い部屋で、説明をする。南相馬市、大隈町等、福島原子力発電所に近い町から避難した。

それぞれの役所、役場は、機能せず、病院も治療できない。20km圏内は、自衛隊が封鎖していて、家族でも戻れない。

南相馬市は、行方不明者が一番多く、村民全員が死亡した村もある。

南相馬市長に、ぜひ大山支援村の情報を入れてくれ、と強く要望された。

気仙沼と違って、住み慣れた故郷に戻って復興することができない、帰ることは許されないのだ、という重い絶望にも似た空気は、人々から笑顔を奪っている。

そこに来てくださった人々の要望は、新しい生活の場、生きていく場を求めて、ここに避難した人々の、多くの人々の要望に違いない。質問は具体的である。



重い、深い問題を、私たちも引き受けて行かねばならない。

日本のすべての原発を即時停止に!その声を世界の声に!

危機をチャンスに変えていこう。