2009年3月31日火曜日

3月28日アサンテサーナCafeイベントReport

田中正治



アサンテサーナCafeは、僕の印象では、レストラン・Cafe+第三世界・フェアトレード+インフォメーションショップが渾然一体となっているくつろげる空間だ。

ネットワーク農縁のお米”さわのはな”を使っていただいているご縁で、食と農のトークをやろうというおはなしをいただいた。

新庄の農家・高橋保広さんの米作りの話というか、稲と向き合っている彼の魂の部分を
引き出そうという企画だ。8月の朝、風のない田んぼで、艶かしい臭いを発散する稲の花は、気温が17度になると、朝露に乗って、おしべはめしべのもとに滑り込んで行く。
受粉だ。一個の意思を持つかのような生命の神秘とも思える営みをしているという。

35名で満員の会場からいろんな質問をいただいた。昨今の農と職への関心の強さを感じた一日だった。
参加された皆さん、アサンテサーナCafeのスタッフの皆さん、充実した時間を持てることが出来、ありがとうございました。





アサンテサーナカフェ

2009年3月12日木曜日

安房ルネッサンス・佐藤竹栄(竹栄接骨院)REPORT

田中正治


竹栄さんと初めてあったのは、1992年藤本敏夫氏が参議院選挙に出馬した時だった。若くして藤本の”秘書”をしている有能な人という印象だった。
彼は鴨川に15年居を構え、現在、柔道整復師として信頼を得ている。安房マネー会員でもある。僕も2008年末に”ギックリ腰”をやったとき治療をしてもらい、1回で快方した。
数年前には「未来たち学校」のコーディネイターとして活躍した。



田―藤本選挙には、どうして係わったのですか?

竹―1991年頃、東京で藤本氏と一緒に、東洋医学を取り入れた”BODY トリートメント”の事業を立ち上げようという話があったのです。でも、バブル崩壊で資金が集まらず、取りやめになった後、藤本氏は”参議院選挙に出馬するぞ”と宣言したのです。
行きがかり上、秘書をやってしまったのですよ。

田―藤本氏と出会ったきっかけは?

竹―1985年(20歳の頃)、仙台に藤本氏をよび講演を依頼したのです。講演の夜、川原での打ち上げの時、藤本氏の隣に座ってしまったのです。それが”運のつき”で
した(笑)。彼は熱つぽく里山の多目的利用空間の話をし、その中での医療の役割をいいました。”医療者は農村で生活しなければならない”と。僕は、里山の多目的利用空間での医療の話に興味を持ったのです。当時既に「柔道整復師」の資格をお持っていましたので。

そこで1986年の1年間、鴨川で暮らしてみることにしました。実験的に。おもしろかった。じいちゃん達に竹細工やきのこ狩りを教えてもらったりして。その体験がその後の出発点になったようです。

田―その後、どうされたのですか?

竹―1987年から4年間、仙台で超ハードな「柔道整復師」のインターンの修行したのですが、1992年、藤本氏に呼ばれて参議院選挙を手伝うことになったのです。

田―藤本選挙は、15万票で当選圏には全く届かなかったですよね。僕は、選挙を戦った仲間と一緒に「オゾン層保護プロジェクト」という環境団体を立ち上げ、けっこうユニークな活動をして楽しんだのですが、竹栄さんは、どうされたのですか?

竹―仙台へ帰り、その後1年間、アジアへ旅に出ました。ベトナム、タイ、パキスタン、インドネシア、ネパールと。そのご、再び鴨川へ行き、1994年、「柔道整復師」として「竹栄接骨院」を開設したのです。

田―実際の治療方法は”操体法”ですよね。どうして”操体法”なんです?

竹―仙台に”操体法”の治療院「温古堂」があり、橋本敬三先生(創始者)がご健在な頃、学生時代なのですが、フリーの見学や研修に行っていたのです。橋本敬三先生はとてもオープンな方で、そこで学んで自由に”操体法”を広げていったらいいよ、というスタンスだったんです。

柔道整復師のインターン時代は、50~60人の治療をしていて、量をこなすことが求められていたので、その反動として質を求めて”操体法”に転換したのです。

”操体法”をメインにした理由は、患者さんのリスクが少ないことです。痛くない方に動かす、気持ちの良い方に動かすですからね。また、部分でなく全体的治療ですから、直りが早い。さらに内科的疾患かどうか見分けやすいのです。

田―患者さんは毎日何人くらいみているのですか?安房マネーも使えるんですよね?

竹―開設した当初は1日、1~2人でしたが、現在は毎日10人くらいですね。力が要らないので、あまり疲れませんが。
安房マネーは治療費の30%受け入れています。毎月1~2人の安房マネー会員が治療にみえていますね。

田―どういった患者さんが多いですか?

竹―捻挫、首、肩、ひざの痛みで、看護系、福祉系、農業系が多いようです。

田―「未来たち学校」のコーディネイターとして活躍されましたが、今どういう印象を持っていますか?

竹―水、海、化学物質、廃棄物、森林などをテーマにしてやったのですが、自分たちの勉強としてはとてもよかった。地域の人もたくさん来て、環境に興味を持ってくれたのですが、何かをやろうということにはならなかったですね。

田―もう一度「未来たち学校」をやろうとおもいます?

竹―再度やるとしたら、主旨を変え、具体的な計画を実施するための環境学習なら良いかもしれないですね。

田―2004年に「竹榮の鴨川エコCity構想」を発表しましたよね。そのポイントは?


竹―鴨川にとって環境が、観光の問題であり、産業ブランド育成につらなるということです。リンクしています。鴨川の海がきれいということが、鴨川の野菜がうまいということとつながっていなくてはいけないのです。

田―現在、鴨川の最重要な問題は何でしょうか?

竹―資本主義は崩壊しはじめています。次の質を求めているのです。物と投資が分離しパンク状態にあります。新しい質とは物と金がくっついていることです。例えばフェアトレードやNPO や中小企業製造業のように。

具体的には、エネルギーの形を変えることです。石油エネルギー型ではなく、どこでもエネルギーを作れるようにする。太陽光発電、小型水力発電、バイオマスエネルギー、海水温度差発電、風力発電。大企業がものを作り輸出する形ではなく、中小企業がネットワークでこうしたエネルギー技術を広げ、大企業並みに機能させ、地域の中で消費して行くのです。電気自動車も町工場が作り、キャパシタでの蓄電も利用していく。こうした地域エネルギー自給、中小企業の時代を前提にして、地域を構想していくことです。

田―そこから鴨川を構想すると?

竹―まずエネルギー自給からはじめ、環境にリンクさせ、観光事業にリンクさせ、産業にリンクさせていくことです。

田―福祉については?

竹―医療施設は亀田病院はじめ充実しているのですが、介護が必要になる前の福祉、つまり予防福祉が足りないのです。家にこもっている人が自由に外出できるようなシステムが必要です。コミュニティーバスではなく、コミュニティータクシーです。玄関まで来てくれると外出しやすくなるでしょう。

公共施設が住民のいろんなニーズに応えようとしても応えきれないでしょう。行きたい人が行きたいところへいけるようにすることです。それにはコミュニティータクシーの仕組みを作りそれに助成し、安く利用できるようにすることです。

誰もがデイサービスを利用すればデイサービスはパンクします。

所得に対する税負担を30%くらいにして、高福祉・高負担システムが必要です。医療費、介護費、生活費保証をするのです。その場合ネックは銀行や保険会社です。生活不安から人々の貯蓄率が非常に高いですよね。このことで銀行や保険会社は儲かっているのです。生活保障すれば銀行や保険会社に頼らなくなるでしょう。

田―座右の銘はなんですか?

竹―「判断したことに責任がもてますか」。患者さんのリスクを減らすことがモットーです。

田―ありがとうございました。

2009年3月1日日曜日

バイテク企業がGM作物の独立研究を阻む 26人の害虫専門家がEPAに直訴

農業情報研究所(WAPIC)
09.2.21

ニューヨーク・タイムズ紙によると、26人のトウモロコシ害虫専門研究者が、遺伝子組み換え(GM)作物の有効性と環境影響の完全な研究をバイテク企業が阻んでいる、「多くの決定的に重要な問題に関するいかなる独立研究も、合法的に行えない」と書いた声明を環境保護庁(EPA)に提出したそうである。

 研究者の多くは、企業からの研究費削減を恐れて名前を明らかにしなかったが、何人かは名前を公表した上でのインタビューに応じたという。

 研究者たちは、問題は、農業者やその他のGM種子のバイヤーは、栽培者が企業の特許と環境規制を尊重しなければならないとする協定に調印しなければならず、この協定が研究目的で作物を栽培することを禁じていることだと指摘する。

 従って、大学研究者は、研究目的で農薬や非組み換え種子を自由に購入できるが、GM種子についてはこれができない。その代わりに、種子企業から許可を得なければならない。企業はときにはこの許可が拒否する。あるいはいかなる発見も、公表前に[企業が]審査すると言い張る。このような協定はずっと前から問題になっていたが、もはや堪忍袋の緒がきれたと、公表に踏みきったというのである。

 研究者は、技術そのものには反対していない。企業の研究締め付けは、作物の最善の栽培方法に関する農業者への情報を供給できないことを意味すると主張する。また、政府規制者に供給されるデータも”不当に制限されている”。コーネル大学のElson
J. Shields昆虫学教授は、企業が「データ、EPAに提出される情報をロンダリングする可能性がある」と言う。

 EPAの科学諮問委員会は来週、害虫が害虫抵抗性トウモロコシに対する耐性を持つようになるのを防ぐために農民が設けねばならない避難地(GM品種作付地中に設けるべき非GM品種の作付地)の面積を減らす新たな方法についてのパイオニア・ハイブレッド社の許可申請を審査する。

 パーデュー大学のChristian Krupke助教授は、外部の科学者はパイオニアの戦略を研究できなかったから、あり得る問題(欠点)がきっちりと評価されたとは思わないと言う。彼は、声明起草者の一人だが、声明にサインしたかどうかは明かさなかった。

 コーネル大学のShields教授は、農業研究への資金供給が公的部門から民間部門にシフトしてきた、これは多くの大学科学者が大種子企業からの資金や技術協力に依存することを意味すると指摘する。みんなブラックリストに載せられるのを恐れている、「トウモロコシ害虫の研究が我々の唯一の仕事だとしたら、最新のトウモロコシ品種が必要だが、企業がそれを与えないと決めたら、我々は仕事ができない」と言う。

 Crop Scientists Say
Biotechnology Seed Companies Are Thwarting Research
,The New York
Times,2.20
 http://www.nytimes.com/2009/02/20/business/20crop.html?_r=1&ref=business 


 わが国でも多くのGM作物が承認されてきたが、こんな怪しげなデータと情報に基づいて承認されたということだ。